この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。
|
成田国際空港(なりたこくさいくうこう、英語: Narita International Airport)は、千葉県成田市にある国際空港。略称は成田空港(なりたくうこう、英: Narita Airport)。空港コードはNRT。
成田国際空港 Narita International Airport | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| |||||||||||||
IATA: NRT - ICAO: RJAA | |||||||||||||
概要 | |||||||||||||
国・地域 | 日本 | ||||||||||||
所在地 | 千葉県成田市・山武郡芝山町・香取郡多古町 | ||||||||||||
母都市 | 東京 | ||||||||||||
種類 | 民間、商業 | ||||||||||||
所有者 | 成田国際空港株式会社(日本国政府出資) | ||||||||||||
運営者 | 成田国際空港株式会社 | ||||||||||||
運用時間 | 6:00 - 24:00 | ||||||||||||
開港 | 1978年5月20日 | ||||||||||||
ターミナル数 | 3(旅客ターミナル) | ||||||||||||
拠点航空会社 | 日本航空 全日本空輸 ZIPAIR Tokyo ジェットスター・ジャパン スプリング・ジャパン Peach Aviation 日本貨物航空 | ||||||||||||
敷地面積 | 1,137 ha | ||||||||||||
標高 | 43 m (141 ft) | ||||||||||||
座標 | 北緯35度45分55秒 東経140度23分08秒 / 北緯35.76528度 東経140.38556度座標: 北緯35度45分55秒 東経140度23分08秒 / 北緯35.76528度 東経140.38556度 | ||||||||||||
公式サイト | https://www.narita-airport.jp/jp/ | ||||||||||||
地図 | |||||||||||||
NRT NRT NRT | |||||||||||||
滑走路 | |||||||||||||
| |||||||||||||
統計(2019) | |||||||||||||
旅客数 | 44,344,739人 | ||||||||||||
貨物取扱量 | 2,039,905t | ||||||||||||
発着回数 | 264,115回 | ||||||||||||
出典: 成田空港会社 | |||||||||||||
リスト | |||||||||||||
空港の一覧 |
東京都区部から東へ約60kmに位置している。東京国際空港(羽田空港)と共に首都圏並びに日本の空の玄関口であり、航空便の行き先や時刻表において『東京(成田)』と表記されることもある。敷地面積は東京国際空港に次いで日本第2位である。
概要
乗り入れ航空会社数99社、乗り入れ就航都市数137都市141路線(海外115都市118路線「40か国3地域」、国内22都市23路線)、開港から2018年(平成30年)12月31日までの航空機発着回数は通算約580万回、航空旅客数は通算約10億人 と名実ともに日本を代表する空の玄関口であり、日本航空、全日本空輸、ジェットスター・ジャパン、ZIPAIR Tokyo、スプリング・ジャパン、Peach Aviation、日本貨物航空のハブ空港である。関西国際空港とともに国際線の旅客数・発着回数が国内線を大幅に上回っていることから大都市圏の国際線主体の空港という傾向が強い。2012年以降は格安航空会社(LCC)の就航により国内線も大幅に拡大しており、関西国際空港と並んでLCCの拠点空港となっている。成田空港の貿易額は日本全体の貿易額の14パーセントを占め(2015年)、1994年以降、常に港湾および空港を含めた国内最大の貿易港となっている。
1978年5月20日に、成田国際空港の前身である新東京国際空港(しんとうきょうこくさいくうこう、New Tokyo International Airport)として開港した。2004年4月1日、成田国際空港株式会社法が施行され、空港を管理する新東京国際空港公団(New Tokyo International Airport Authority, NAA)が、日本国政府による100パーセントの出資で設立された成田国際空港株式会社(Narita International Airport Corporation, NAA)に改組し民営化(特殊会社化)。「NAA」の略称は、旧公団時代から引き継がれたものである。民営化にともない正式名称を「成田国際空港」とした。
上記の改称以前から「成田空港(なりたくうこう、Narita Airport)」や「成田」という呼び方が定着していた。行先表でも「成田(NARITA)」を使用している。
空港法第4条に定める「国際航空輸送網又は国内航空輸送網の拠点となる空港」のひとつであり、航空法上の混雑空港(IATAのWSGでもっとも混雑レベルが激しい「レベル3」)でもある。国際線旅客数・発着便数・就航都市数、総就航都市数、乗り入れ航空会社数、拠点空港としている航空会社数、貿易額において国内最大である。セキュリティは国際空港評価でBest Airport賞を受賞している。
2015年4月8日に格安航空会社(LCC)専用空港ターミナルビルとして第3ターミナルが供用開始された。同ターミナルは既存の第2ターミナルから徒歩15分ほどと距離があり、他のLCC専用ターミナル同様簡素な作りになっている。同ターミナルは同年度のグッドデザイン賞で高い評価を受け、国内空港初の金賞を受賞している。また一部を除き23時で閉館する第1・第2ターミナルと異なり、第3ターミナルは24時間開館している。
空港内にはファッションブランドから化粧品、雑貨、家電、土産物、飲食まで300店舗以上が営業しており、第3ターミナルには国内空港で最大のフードコートを整備、ラグジュアリーブランドの免税店を拡充するなどの積極策を打っており、2018年3月期の売上高は前期比14.8パーセント増の1,246億円と売上高日本一のショッピングセンター(SC)となっている。
データ
- 開港:1978年5月20日
- 空港運用状況(2019年)
- 航空機発着回数:264,115回(1日平均724便)
- 航空旅客数:44,344,739人(1日平均12万1,492人が利用)
- 国際線:36,701,960人(日本第1位)
- 日本人客:14,737,394人
- 外国人客:18,224,660人
- 通過客:3,739,906人
- 国内線:7,642,779人
- 国際線:36,701,960人(日本第1位)
- 航空貨物取扱量:2,039,905トン(日本第1位)
着陸回数
- 国内線
- 国際線
旅客数
- 国内線
- 国際線
貨物量 (トン数)
- 国内線
- 国際線
空港機能
日本を代表する空の玄関口(ハブ空港)のひとつであるが、歴史的経緯(別項成田空港問題を参照)により現在も、建設計画自体が完了しているとはいえない。開港後の拡張工事も進まず、騒音問題から0時 - 6時 (JST) の離着陸禁止や、羽田空港の拡張、再国際化や24時間運用が進められた。これに対し、成田空港も京成成田空港線の開業によるアクセス向上や、発着枠の拡大、24時までの離着陸容認で国際競争力を高めようとしている。
1992年に供用を開始した第2ターミナルによって管制塔からの航空機視認性が悪化するため、1990年2月から新たな管制塔の建設が進められ、1993年2月2日に旧管制塔から航空管制業務を引き継いだ。新管制塔の高さは全高は87.3メートルで、当時としては日本一の高さであり、2020年現在でも羽田空港・那覇空港の管制塔に次ぐ第3位の高さである。新管制塔は高層化にともなう風圧を軽減するために塔の中央部分を中抜けにしたほか、制振装置室を設けて揺れを軽減するなどの対策が施されている。
新管制塔の供用開始後、旧管制塔は「ランプタワー」として新東京国際空港公団に引き継がれ、最上階の旧航空管制室は地上管制業務の一部(ランプコントロール)を行う施設として使用されていたが、2020年9月10日に新たに設けられた「ランプセントラルタワー」の供用開始により役目を終え、老朽化した旧管制塔は撤去される。
2013年3月7日にB滑走路用西側誘導路(後述)の供用開始により、2本の滑走路の最大発着数(時間値)が1時間あたり58回から64回に増え、年間発着枠も25万回から27万回に拡大された。また、広域マルチラテレーション(WAM)の導入によって、最大時間値は2015年の夏ダイヤの運航からさらに68回に拡大されている。
2015年3月の第3旅客ターミナル完成をもって、年間発着枠30万回化のための施設整備が完了した。また地元と空港側が、2019年10月末から、A滑走路について24時までの発着を行うことに合意した。2019年2月4日、空港周辺9市町と成田国際空港会社、国、千葉県が「四者協議会」を開催し、同年10月27日から先行するA滑走路で発着を23時から1時間延長することで正式決定した。また、国は地元事業への補助率をかさ上げする「成田財特法」を4月から10年間延長する方針を示した。従来の5年ごとの延長から、長期事業にも適用しやすくなる。3本目の滑走路建設後・B滑走路延伸後の発着延長も予定されており、10年延長はそれを踏まえた対応である。
空港レイアウト
- 空港敷地面積:1,137ヘクタール(計画1,151ヘクタール):(日本第2位)
- 第1ターミナル(46.3万㎡) 第2ターミナル(39.1万㎡) 第3ターミナル(6.7万㎡)
- スポット:137スポット(工事により一部閉鎖中のものを含む)(計画は143スポット)
- 滑走路
- A滑走路:4,000×60メートル、16R/34L(16R・34LともILSを装備、16RはCat III b)
- 着陸帯 ‐ 4,120×300メートル
- B滑走路:暫定2,500×60メートル、16L/34R(16L・34RともILSを装備)
- 着陸帯 ‐ 2,620×150メートル(暫定。当初計画は2,620×300メートル)
- A滑走路:4,000×60メートル、16R/34L(16R・34LともILSを装備、16RはCat III b)
- エプロン:面積 約218ヘクタール(計画面積は約260ヘクタール)
- 誘導路:延長 約25.5キロメートル 幅30メートル(一部23メートル、暫定計画を含む。計画延長は約34.2キロメートル、計画幅は30メートル)
- 航空保安無線施設:ILS 4式(計画 ILS 6式)、VOR/DME 2式(A滑走路:成田VOR/DME、B滑走路:北総VOR/DME)
- 運用時間:24時間(ATISは5:00-24:00)
- 利用時間:6:00 - 24:00(開港から2019年10月26日までは6:00 - 23:00)
- 誘導路の延長・エプロンの面積の推移は、「(着陸帯、滑走路、誘導路およびエプロンの数値の推移)」を参照。
滑走路
A滑走路
A滑走路(第1滑走路)は、関西国際空港の第2滑走路(06L/24R)と並び、日本国内では最長の4,000メートルである。しかし、新東京国際空港公団による1978年(昭和53年)5月20日の開港以降も、A滑走路34L南端から約800メートルの位置に、反対派の「(岩山鉄塔)」が建つ未買収地が234平方メートル残っており、アプローチ帯を建設できなかった。このため、本来そこにあるべき900メートルの進入灯を、A滑走路南端から内側へ750メートルにわたって設置せざるを得ず、34Lへ着陸する場合は、3,250メートルの滑走路としてしか利用できなかった。
その後、当該範囲の土地取得と航空法規則改正により2009年度(平成21年度)から、本来の滑走路内にある進入灯を岩山鉄塔の建物を避ける形でアプローチ帯造成とともに750メートル移設する工事を行い、開港から34年後の2012年(平成24年)12月13日に、4,000メートルの滑走路として本来の運用をようやく開始した。
B滑走路
B滑走路(第2滑走路)は、2002年5月に開かれた日韓ワールドカップに間に合うよう、同年4月18日に、当初計画の長さより短い2,180メートルの暫定平行滑走路として供用開始された。これは滑走路の用地買収が進まず、34R付近にある反対派住民の住居と農地を避けるため、B滑走路の一部を計画時より北16L側に延伸させたためである。延長が短いためB滑走路の離着陸には制約が設けられ、重量の大きなボーイング747以上の大型機と貨物を含む長距離国際線には使用できず、中小型機と国内線・近距離国際線のみに使用された。
本来の長さである2,500メートルへの延伸は、東峰地区にある反対派の敷地を避けるため、条件賛成派の土地を買収して空地となった16Lを北西方向へ320メートル延長する案が提示された。2006年8月開催の100回に及ぶ公聴会意見を踏まえて、同年9月11日に当時の国土交通大臣・北側一雄がこの案を認可し、2009年10月22日から2,500メートルでの供用が開始された(方角と大臣姓双方の語句から北側延長と言われている)。そのため、進入灯は東関東自動車道の上を通っている。
供用開始時期は当初2010年3月としていたが、2009年3月23日に発生したフェデックス80便着陸失敗事故の影響を受け、NAAと国土交通省が協議をした結果、前倒しでの実施となった(詳細は歴史の節を参照)。B滑走路では2,500メートル化にともない、重量が大きく長い離着陸滑走距離が必要になる貨物機や大型機(ボーイング747-8、エアバスA380、An-225は除く)の着陸が可能となった。また、燃料を満載する長距離国際線ではアメリカ合衆国西海岸地域やヨーロッパロシアに位置するモスクワへ向かう直行便が離陸できるようになった。
しかし、B滑走路に並行する西側誘導路の一部が空港反対派民家とその所有地を避けるため、滑走路側に向かって「への字」に湾曲していた。このため、この部分を走行する航空機は、離着陸機の滑走に合わせて一時待機を余儀なくされていた。これを解消するため、NAAは既に用地収得済みの「への字」部分について、カーブを緩やかにする改修工事を2010年11月末までに完成させ、2011年3月10日より一時待機は廃止された。これにより滑走路との安全距離が確保され、誘導路上での一時待機がなくなり発着効率が大きく向上した。
2009年7月30日にはB滑走路東側に新誘導路が供用開始され、東側誘導路は「離陸(出発)機専用」・西側誘導路は「着陸(到着)機専用」となり、誘導路の使い分けにより離陸までの時間短縮が可能になった。これにより、第2旅客ビル北側において着陸機があるときに行っていたB滑走路へ入るホールド(待機)は廃止され、ホールドスポットも廃止された。また2012年度末に新たにB滑走路西側誘導路と第2旅客ビル地区とを結ぶ誘導路増設工事を進めていたが、2013年3月7日より、約720メートル延長された新誘導路と横堀地区エプロンを供用開始した。西側誘導路の整備により、第2旅客ターミナルビルのサテライトから出発した航空機がB滑走路南端から離陸する場合、従来の東側誘導路を通るよりも走行距離が約1,800メートル短縮され、所要時間も約220秒短縮された。
2016年9月には、2,500メートルのB滑走路16Lを北側(成田市側)にさらに1,000メートル延伸して、3,500メートルにする計画が提示された。2019年(令和元年)11月5日の基本計画改定により、北側への延伸が正式に位置付けられる一方、南側の未供用部分については滑走路予定地から外されることとなった。
2020年4月12日から、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的流行に伴う航空機発着数減少に伴い、一時的に閉鎖されていたが、同年7月22日に運用が再開された。
横風用滑走路(旧C滑走路計画)
当初の基本計画におけるC滑走路(第3滑走路)は、横風用滑走路として長さ3,200メートル・幅60メートルとして計画されていた。横風用滑走路が整備された場合、強い北風・南風の際の着陸が容易になり、離着陸の遅れの減少、発着の効率性の向上・発着枠の増大が期待されていた。
しかし、C滑走路の用地内に空港反対派の所有地や、空港反対派支援者・協力者の一坪運動共有地が多数存在する状況から計画が停滞し、用地を取得した部分はC誘導路として使用することとなった。またC滑走路予定地南側部分の、航空機整備施設区域に接しているところには、駐機スポットが7スポット(512番、511番、510番、509番、508番、507番、506番)増設されており、誘導路を滑走路として再整備する際は、これらの駐機スポットを移転する必要があった。
またC滑走路南側延長線上の山武市・富里市および北側延長線上の成田市大栄地区(旧大栄町)が飛行コース下になることから、新たな騒音問題が発生する可能性があった。2009年(平成21年)9月17日、NAAはC滑走路上の6件の一坪共有地について訴訟を起こし、2013年(平成25年)4月25日、2件54人の地主に対して最高裁が持ち分売却を命ずる判決を下し、一連の裁判は4か所でNAAの勝訴、2か所が和解で終結した。
2014年(平成26年)以降、C滑走路の位置や長さを見直す動きが出始め、2015年(平成27年)11月27日に開かれた四者協議会では、新たな第3滑走路についての素案が提示された。その後、後述の新平行滑走路計画に移行することとなり、2019年(令和元年)11月5日の基本計画改定により、本計画は正式に廃止された。
新平行滑走路(C滑走路)
NAAは、新平行滑走路として、前述の横風用滑走路を撤回し、山武郡芝山町にB滑走路から420メートル東に離れた場所に、第3滑走路をB滑走路34Rの先端から南へ平行する形で、滑走路・誘導路を設置する計画変更を発表した。
設置変更の理由として、航空機およびその搭載航法装置、地上支援機器などの発達によって、横風・強風等でのダイバートが大幅に減少したためで、NAAによれば、横風・強風を理由とする成田空港からのダイバートは、2006年(平成18年)から2015年(平成27年)の10年間で0.03パーセントときわめて少なく、横風用滑走路の必要性はきわめて低下していた。そのため平行滑走路を増設、あわせてエプロンおよび諸施設の拡大による、成田国際空港の機能強化へと用途変更することとなった。
新平行滑走路の建築を含めた成田空港の機能強化については、成田空港に関する四者協議会(国土交通省、千葉県、空港周辺9市町、NAAで構成)で話し合いが行われ、成田空港の機能充実と地域の共生を両立させながら計画されている。
200回を超える住民説明会や地元要望を受けた計画修正を経て、2018年(平成30年)3月13日に四者協議会は機能強化について合意に達した。2019年(令和元年)11月5日の改定により本構想は正式に基本計画に明記された。2029年3月末の完成を目指している。
旅客施設
現在、成田空港には3棟の旅客ターミナルビルがあり、ターミナル間連絡バスによって相互に移動できる。ターミナル間の移動の所要時間は10 - 15分である。他社とのコードシェア便(共同運航便)では、機材を運航する航空会社が入居するターミナルに向かう必要がある。
開港から14年半あまりが経過した1992年12月に第2ターミナルが開業した。日本航空グループと全日本空輸グループが第2ターミナルへ移転し、第1ターミナルは海外航空会社がおもに利用した。しかし、真新しい第2ターミナルへの各種サービスの偏重、混雑時間の集中やコードシェア便の増加によるターミナル間移動などの問題があった。
第2ターミナルの開業で処理能力に余裕が生まれたため、入れ替わりに第1ターミナルの北ウイングが閉鎖され、大規模なリニューアル工事が行われた。サテライトの段階的な改築・増築を経て、1998年末にレストランや飲食店などのテナントが集結する中央ビル新館が竣工し、1999年3月に北ウイングが再開業した。その入れ替わりで南ウイングが閉鎖され、工事が進められた。南ウイングの再開業にあたっては、航空会社を可能な限り航空連合ごとにまとめ、同じターミナルに集約することによって乗り継ぎの利便性を高めた。
現在、主要な航空会社は3つの航空連合にまとまっており、ワンワールド加盟社の多くは第2ターミナル、スターアライアンス加盟社の多くは第1ターミナル南ウイング、スカイチーム加盟社の多くが第1ターミナル北ウイングを使用している。
第1ターミナル
1978年の開港当時は、北ウィングを日本航空やブリティッシュ・エアウェイズなどが、南ウィングをパンアメリカン航空やキャセイパシフィック航空などが使用していた。その後、第2ターミナルの完成を受けて日本航空や全日空などが移動するなど使用航空会社が変更されたほか、オープン当初は年間約1000万人の旅客処理数と約166000㎡だったターミナルは改築と増床を重ね、延床面積は当初の2倍以上に拡張された。
中央ビルならびに南北ウイングと第1 - 第5サテライトに分かれている。出発ロビーは4階、到着ロビーは1階である。中央ビルには商業施設や有料空港ラウンジ、展望デッキなどがある。北ウイングには第1、第2サテライトがあり、おもにスカイチーム加盟各社が入居している。南ウイングには第3、第4、第5 サテライトがあり、おもにスターアライアンス加盟各社と、全日空ハンドリング各社が入居している。
- 北ウイング
- 第1サテライト 11 - 18ゲート(11はバスゲート兼用、13は欠番、15はエアバスA380対応)
- 第2サテライト 21 - 29ゲート(26はエアバスA380対応、28A - 28Gは出発バスゲート、29は到着バスゲート)
- 南ウイング
- 第3サテライト 31 - 38ゲート(32はバスゲート兼用)
- 第4サテライト 41 - 47ゲート(45・46はエアバスA380対応)
- 第5サテライト
- 51 - 59ゲート(54はエアバスA380対応、59A - Cはバスゲート)
- A - Hゲート(国内線ゲート、B - Gは出発バスゲート、A・Hはバスゲート兼用)
57Aゲートの搭乗橋は国内線Aゲートに、55ゲートの搭乗橋は国内線Hゲートに、56ゲートの搭乗橋は国内線AゲートとHゲートの両方にそれぞれつながっている。時間帯によって国内線エリアと国際線エリアを切り替えて運用している。
施設の老朽化を受けて、中央ビルと北ウィングが最初に大幅な改築を受け、新たなチェックインカウンターの設置や店舗の改装、ラウンジの増設などが施されて1999年3月16日に新装開業した。2006年6月2日に新装開業した南ウイングの改築完成時に、日本初のインライン・スクリーニングやカーブサイド・チェックインなどのサービスが導入された。また、この前後にはエールフランスや全日空の新ラウンジもオープンした。
なお、南ウイングから発着する一部を除くスターアライアンス加盟各社は、搭乗手続きのチェックインカウンターを航空会社別に区分せず、マイレージ上級会員や搭乗クラスによって区分した「ゾーン・チェックイン」スタイルで行われていた。しかし搭乗客からの評判が悪く、2016年6月2日からチェックイン・カウンターの配置を見直し、以前のような航空会社別の配置に戻った。
第2ターミナル
1992年12月に供用開始。当時は単一ターミナルビルとしては世界最大級の規模だった。出発ロビーは3階、到着は1階で、本館とサテライトに分かれる。両館の連絡は、動く歩道を併設した連絡通路(中央部は出発、外側は到着の一方通行)を利用する現在はワンワールド加盟各社が使用しているほか、日本航空がハンドリングする各航空会社や一部のスカイチームの加盟航空会社も使用している。第3ターミナルに隣接しており格安航空会社の利用もある。成田空港の旅客ターミナルの中では唯一、屋根付き駐車場と直通通路により結ばれており、雨天でも濡れることなく移動できる。
- 本館
- 60ゲート (到着バスゲート)
- 61 - 68ゲート (66 - 68はエアバスA380対応)
- 71 - 75ゲート (76・77は第3ターミナルに転用された)
- 70ゲート(ターミナル連絡バスゲート)
- 70H - 70Mゲート(出発バスゲート、70A - 70Gは使用中止)
- A - Sゲート(国内線ゲート、A - Dは出発バスゲート、E - Hは改札機の設置なし、J - Mは第3ターミナル開業にともない使用中止、O・Qは欠番)
- サテライト
- 80ゲート(ターミナル連絡バスゲート)
- 81 - 88ゲート
- 91 - 99ゲート(96はエアバスA380対応)
なお、64・65・66・67A・67B・68ゲートは搭乗橋が国内線・国際線で共用されている。国内線で運用した飛行機をその後、国際線で運用する際(国際線のあとに国内線の場合も)にこのゲートを使用する場合が多い。国内線Iゲートは64ゲートの搭乗橋と、Nゲートは66、Pゲートは67A、Rゲートは67B、Sゲートは68のそれぞれのゲートの搭乗橋とつながっており、スイングゲートを使用することで国内線エリアと国際線エリアを切り替えて運用している。また、65ゲートの搭乗橋は、国内線は到着のみで共用できる構造となっている。
2007年に大規模な改装が行われ、チェックインカウンターの増設やカウンター周辺の改装とあわせて、日本初となる自動出入国管理ゲート「J-BIS」やインライン・スクリーニングなどの新サービスが導入されたほか、成田国際空港初のペット用ホテルやキッズルームも設けられた。同時に各航空会社のラウンジの改装・新設も行われ、日本航空が日本最大の約4,000平方メートルの面積を持つラウンジをオープンさせた。同じワンワールド加盟航空会社のアメリカン航空やキャセイパシフィック航空、カンタス航空が新しいラウンジをオープンさせた。また、チャイナエアラインも新しいラウンジをオープンさせた。
2009年9月にはサテライトエリアの改修も行われ、レストランや免税店などの拡張をはじめとした各種設備の充実が行われたほか、サテライトエリアにある日本航空のラウンジの大規模な改修と拡張も行われた。
繁忙期に深夜の滞在スペースが不足していることから、第3ターミナル移転前まで格安航空会社が使用していた北側仮設ターミナルを改装して、24時間利用可能な滞在スペースが設けられた。2016年7月には成田空港の飲食店では初の24時間営業店舗として吉野家がオープンした。
第3ターミナル
2012年(平成24年)、増加が予想される格安航空会社(LCC)の乗り入れに対応し、当時第2ターミナルの北側にあった第5貨物ビルとエプロンの一部であった土地への建設が計画された。建設にあたっては、施設利用料を抑えたいLCC各社からの建設費抑制に対する要望が強く、加えて供用開始後の維持費の縮減にも考慮する設計とされた。ローコストな旅客ターミナルビル建設のため「Terminal3プロジェクト」が立ち上げられ、参加した日建設計、良品計画、PARTY の三者が制作過程から密接に連携することで、無駄な装飾を排してコストを圧縮しつつ、建物・サイン類・調度品などのデザインの分断を避けている。デザインは伊藤直樹が参画し、同年度のグッドデザイン賞では高い評価を受け、国内空港初の金賞を受賞している。
2015年(平成27年)4月8日供用開始。LCC専用空港ターミナルビルとして機能するが、依然として他のターミナルを発着するLCCも存在する。当空港の旅客ターミナルでは唯一専用の空港連絡鉄道の駅がなく、空港第2ビル駅(成田第2・第3ターミナル)が最寄り駅となる。なお、第2ターミナルの最北端部から専用通路で300メートル先に設けられているが、第2ターミナルからの移動はこの専用通路による徒歩のみとなっており、動く歩道は整備されていない。第1ターミナルからの無料アクセスは第2ターミナル同様シャトルバスのみである。
出発・到着客がともに同ターミナルの2階を通行するため、床の動線案内表示が新たに導入された。陸上競技場を模した青色(出発)と赤茶色(到着)のゴムチップトラックで色分けされている。
第1・第2ターミナルは一部を除き23時で閉館するが、当ターミナルは公共交通機関の始発、最終便前のタクシーや自家用車での移動や、ホテルでの前泊や後泊ができない乗客のために、2階の空港案内所、フードコート、チェックインカウンター周辺、保安検査場前までのエリアを24時間解放している。なお、フードコートのテナントは原則として21時に閉店、その他店舗も21時に営業終了するが、2023年に新規出店した松屋が24時間営業している。フードコートとゲートラウンジには無印良品製のソファーベンチを導入した。
LCC専用ターミナルという性質上、航空会社やクレジットカード会員向けの空港ラウンジなどの施設や、上級クラスもしくは航空会社マイレージの上級会員向けの優先レーンなどは存在しない。自動出入国管理ゲートも設置されておらず、設置予定もない。またレンタカーカウンターもない。2019年(令和元年)9月5日の到着ロビーの拡張により宅配便取扱カウンターが設置された。
2022年2月(令和3年)には、隣接する第5貨物ビルを撤去・移転のうえ、跡地にターミナルビルを増築。11万平方メートルに拡張され、年間キャパシティは1,500万人となった。
- 本館
- 150A - 150Eゲート(国際線 出発バスゲート)
- 151 - 155ゲート(国際線) - 第2ターミナルの76・77ゲートを転用した。
- 159ゲート(国際線 到着バスゲート)
- 160A - 160Dゲート(国内線/国際線兼用 出発バスゲート) - 150から改番
- サテライト(国内線)
- 161 - 164 ゲート
- 171 - 175 ゲート(171 - 173は出発バスゲート)
ビジネスジェット専用ターミナル
2012年3月、首都圏初のビジネスジェット専用ターミナルが運用を開始した。他のターミナルとは離れた場所にあり、ビジネスジェット機で成田空港を利用する場合、出入国や税関などの手続きを、ビジネスジェットプライベートジェット専用ターミナルで行える。空港施設使用料は1機あたり25万円(2015年時点)となっており、別途着陸料や駐機料を支払う。
サービス施設使用料
国際線(出発のみ)・国内線旅客に対し、空港使用料として、旅客サービス施設使用料(PSFC)、旅客保安サービス料(PSSC)を、航空券の発券の際に合算徴収している。従来は国内線旅客に対しては無料であったが、2015年(平成27年)4月8日の第3ターミナルオープンに伴い、国内線でも徴収することになった。
下表の料金は2019年10月1日から適用の金額。2023年9月から施設使用料を大人一人最大350円値上げする予定。現在、施設使用料2,130円、保安サービス料530円の計2,660円を徴収しているが、値上げで施設使用料が330円、保安サービス料が20円それぞれ値上げされる。
国際線 | 国内線 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出発 | 乗継 | 到着 | 出発 | 乗継 | 到着 | |||
旅客サービス 施設使用料 (PSFC) | 第1・第2 ターミナル | 大人 | 2,130円 | 1,060円 | - | 450円 | - | 450円 |
子供 | 1,070円 | 530円 | - | 220円 | - | 220円 | ||
第3 ターミナル | 大人 | 1,040円 | 520円 | - | 390円 | - | 390円 | |
子供 | 520円 | 260円 | - | 190円 | - | 190円 | ||
旅客保安サービス料(PSSC) | 530円 | - | - | - | - |
なお、1978年の開港当初の旅客施設使用料は、出発に際して大人1000円、子供500円となっていた。
商業施設
店舗
国際空港であり、ほかの国内の大型商業施設と比較して1店舗ずつは小規模な店舗面積でありながら、多くの店で単価の高い有名ブランド品を取り扱っているため、ショッピングセンターとしては、2015年度に1,169億円の売上収入があり、日本一の売上高となっている。
旅客ターミナルの非制限エリアと制限エリア(出国審査を済ませた人のみが利用できるエリア)には、飲食店と書店・みやげ物屋などの各種売店がテナントとして移動体通信事業者(MNO)の国際ローミング対応の携帯電話のレンタル、ドコモ・au・ソフトバンクの販売代理店や、有料のエアポートラウンジ(指定されたクレジットカード会員の発着便利用時は無料)などがある(第3ターミナルを除く)。
後述の公共機関を除いたサービス施設として、ビジネスセンター、食料品や日用品等の販売店として、各ターミナル内の非制限エリアにNAAによるコンビニエンスストア型売店が数か所ある。また、成田空港駅、空港第2ビル駅にはそれぞれ駅売店(KIOSK)もある。
出国審査(東京出入国在留管理局成田空港支局)後は、搭乗客や航空会社、店舗の関係者などしか入れない制限区域である。2005年(平成17年)以降の改装により、第1・第2ターミナルともに、さながら街中のショッピングモールのような国内外のファッションブランドのブティックや、DFSなどによる免税店街が広がっている。日本の租税が課される酒(酒税)・煙草(たばこ税)・物品に課される消費税・外国製品に課される関税が、出発の制限エリアでは免税されるため、大勢の買い物客で賑わっている。また、化粧室や有料のリフレッシュルーム(仮眠室・シャワールーム)、キッズルーム(第2ターミナルのみ)、第3ターミナルを除いて、プライオリティ・パスといった各種サービス施設も置かれている。搭乗口付近には、各航空会社のラウンジが置かれている。また、ほかの国内空港と同様に、キヨスク風の小型売店とイートインスタンドを兼ね備えたゲートラウンジ店舗(BLUE SKYなど)もあり、搭乗直前まで利用ができる。
第1ターミナル南ウィングの改装に合わせて、出国後の制限エリア(北ウィングの旅客も利用できる)に、免税店モール「narita nakamise」 がオープンした。2007年には、第2ターミナルの出国後の制限エリアに、「narita nakamise」よりも約1.4倍広い5,000m2の店舗面積を持つ免税店モール「ナリタ5番街」 がオープンした。なお、第2ターミナルは本館だけでなく、サテライトにも免税店やファッションブランドのブティック、書店やレストランなどの店舗や外貨両替専門の出張所窓口、航空会社のラウンジがある。
- ファッションブランドのブティック(一部)
- ブルガリ
- カルティエ
- エルメス
- フェラガモ
- シャネル
- トッズ
- グッチ
銀行窓口
銀行の支店窓口として、第2ターミナル内に千葉銀行成田空港支店が入居している。このほか、みずほ銀行・京葉銀行などの外貨両替専門の出張所窓口、入国時の東京税関での関税出納(納税)に業務が限られるみずほ銀行の派出所扱いの窓口が、税関検査場内に置かれている
ATM
ターミナルビル内の複数箇所で、三菱UFJ銀行、三井住友銀行、みずほ銀行、千葉銀行、京葉銀行、ゆうちょ銀行、セブン銀行(看板は「SEVEN BANK」表記)、イオン銀行のATMが置かれている。また、JR東日本の空港第2ビル駅・成田空港駅のコンコースではビューカードATMが置かれている。
このうち、海外発行のATMカードやクレジットカードによる現金引き出し・残高照会利用は、日本と磁気ストライプカードの記録方式が違い、それに対応するカードリーダーの機械が、従前はゆうちょ銀行(旧:郵便貯金)ATMだけであったが、のちに各行のATMが対応している。京葉銀行など一部は、通常の国内金融機関向けATMとは別に、海外発行カード専用ATMを別途設置している。
2009年9月からは、セブン銀行により出国後の制限区域内においては国内初となるATMが設置されている。空港およびセブン-イレブン店内など市中に設置の機種と提携金融機関などの条件は同一である。日本円での引き出しが可能であるが、外為法の抵触(100万円相当額以上の現金を持ち出す場合は税関で携行品申告をする必要がある)を避ける意図から、1回の操作では3万円までしか引き出しができない。
郵便関係
2013年7月1日、成田国際空港郵便局の廃局にともない、管轄が成田郵便局へ移管され、成田郵便局 空港第1旅客ビル内分室、空港第2旅客ビル内分室が設置されている。第3ターミナルには郵便ポストのみ設置されている。
貨物ターミナル
2019年現在、成田国際空港の国際航空貨物の取扱量は香港、上海浦東、仁川、台湾桃園に次いでアジア5位の地位を占める。開港当時は第1ターミナル北ウイング横に集中して貨物ビルが置かれていたが、航空貨物需要の増加に対応して五月雨式に拡張を続けた。第一貨物地区と第四貨物上屋と第七貨物上屋、第五貨物上屋、空南貨物地区、整備地区暫定貨物上屋などに、JALカーゴ、ANAカーゴ、日本貨物航空、各フォワーダーなどの貨物ビルが点在している。貨物地区内には勤務者やドライバーのためにコンビニエンスストア(ファミリーマート)も設置(第一貨物地区第2貨物ビル内)され、第七貨物前トラック待機場にもコンビニエンスストアが設置されているほか、ガソリンスタンドも設置されている。
施設規模をすべて合わせると20.2万平方メートルの規模を持ち、相次ぐ拡張の結果、年間240万トンの取り扱いが可能となったが、暫定滑走路の延伸工事の完成に臨み、さらに取扱量を増やすために現在も拡張工事が行われている。「貨物管理ビル」の日本貨物航空事務所は2011年中にすべて退去し、現在はNCA整備ハンガー付属棟に移転している。
2017年(平成29年)の輸出額は12兆2,444億円、輸入額は11兆3,131億円と、金額ベースでは国内で首位の貿易港の座にある。輸出入品目としては、電子部品・電子機器・医薬品など、軽量で高付加価値の物品が中心となっている。
- おもな輸出品目(平成29年)
- 半導体等電子部品(6.8%)、半導体等製造装置(6.4%)、科学光学機器(5.9%)
- おもな輸入品目(平成29年)
- 通信機(15.7%)、半導体等電子部品(10.5%)、医薬品(10.4%)、事務用機器(8.4%)、科学光学機器(6.8%)
また、成田空港はマグロなど魚介類の輸入通関が多く「成田漁港」の別名がある(平成29年、3万7,508トン)。
給油施設
発着回数が多い上に長距離線の割合が多い成田空港は航空燃料の取り扱い数量が多いため、千葉港で荷揚げした燃料を46.9キロメートルに及ぶパイプラインで空港に移送しており、国内唯一の事例となっている。空港に送られた航空燃料は「給油センター」のタンクに貯蔵され、多くの場合はさらにそこからハイドラント配管により駐機スポットまで届けられ、車両によって航空機に接続・給油される。
諸般の事情によりパイプライン敷設は開港に間に合わず、1983年(昭和58年)まで貨物列車による航空燃料の輸送が行われていた(暫定輸送)。
駅サービス施設
両旅客ターミナルに接続した成田空港駅・空港第2ビル駅の改札外には「SKYLINER&KEISEI INFORMATION CENTER(京成トラベルサービス)」と「JR EAST Travel Service Center(びゅうトラベルサービス)」、「みどりの窓口・(指定席券売機)(JR東日本)」がそれぞれある。SKYLINER&KEISEI INFORMATION CENTERでは海外旅行保険の加入やトラベレックスによる外貨両替サービスが受けられる。JR EAST Travel Service Centerでは通常の切符類の購入に加え、訪日外国人が海外で購入可能な「ジャパンレールパス」類の実券引き替えや「Suica & NE'X」の発売を行っている。
空港内ホテル
空港内ホテルとしては2か所ある。第1ターミナル横に機内食製造大手のティエフケーが運営する「成田エアポートレストハウス」がある。第1ターミナル北ウイングとは徒歩で10分ほどの距離にあり(雨天時は傘が必要)、各ターミナルとは無料のシャトルバスで結ばれている。ホテル利用者向けの専用駐車場も用意されている。
また、第2ターミナル前のP2駐車場棟地下1階に、24時間365日利用可能なカプセルホテル「ナインアワーズ成田空港」が2014年(平成26年)に開業した。第2ターミナルからは徒歩で3分-5分程度の距離であり、雨でも濡れずに行ける。
駐車場
P1・P2・P3・P5および貨物地区駐車場といった有料駐車場が設けられている。また、オートバイ用の駐車スペースも確保されており、障害者手帳による割引サービスも実施されている。一部の駐車場は事前にインターネットで申し込むことが可能で、割引も適用される。
なお、第2ターミナルに隣接しているP2は第2ターミナルと連絡通路で直結しており、雨天でも雨に濡れることなく空港ターミナルにアクセスでき、料金支払い出口が新空港ICに直結されている唯一の駐車場である。なお、第3ターミナルに隣接もしくは直結した駐車場はないが、P2まで雨天でも雨に濡れることなくアクセスできる。
諸問題
運用・環境面の問題
2008年、NAAは、B滑走路が2,500メートル化する2010年以降に年間発着回数を当時の1.5倍にあたる年間30万回にする試算を「成田国際空港都市づくり推進会議」に提示した。その実現に向けては課題が山積していたが、平行同時離陸や利用時間延長を容認することなどで実現が目指された。この構想には、世界とりわけ東アジアでの国際ハブ空港としての地位低下防止と競争力強化、容量不足緩和の狙いがあり、国土交通省とNAAで能力増強の検討がなされた。
2010年10月13日に開催された成田空港に関する四者協議会で、成田空港の容量拡大(30万回)に係る確認書が締結された。NAAは、年間発着能力を最速で2011年度中に25万回、2012年度中に27万回、2014年度中に30万回に拡大させる方針を示した。
なお、周辺地域住民への環境配慮も必要で、成田空港では開港以来、住宅などの防音工事に400億円超、電波障害対策に200億円超など、合計3,200億円超の環境対策事業を実施しており、今後も実施され続ける予定である。法律面でも公共用飛行場周辺における航空機騒音による障害の防止等に関する法律(騒防法)や特定空港周辺航空機騒音対策特別措置法(騒特法、事実上成田空港を対象とした騒音地区の住宅等の建設を制限や補償する法律)に基づき、環境対策を実施している。
2010年3月28日より、基本的にA滑走路を離陸専用、B滑走路を着陸専用とする使い分けが行われていた。2011年10月20日より同時離着陸方式が導入され、両滑走路とも離着陸併用となった。2012年10月現在では、運航ダイヤがピークとなる午前、午後の合計約2 - 3時間程度、同時離着陸が行われている。ただし、航空管制官の目視によって航空機の状況を確認するため、雨天など悪天候時には同方式での運用は停止される。しかし、2012年度中に航空機の監視装置が高度化され、悪天候時でも同時離着陸運用が可能となった。An-124、An-225、エアバスA380などの大型機や貨物機は、B滑走路の長さが十分でないため、A滑走路への着陸となる。年間発着枠30万回化のための施設整備は、上述の通り2015年3月に完了している。また、騒音問題から、開港以来、深夜23時から翌朝6時にかけての離着陸を禁止する「夜間離着陸制限」(いわゆる“門限”)が設定されてきたが、2013年3月31日に、出発空港における悪天候などの航空会社の努力では対応できないやむを得ない場合に限って、“門限”を午前0時まで延長することが可能になった。2019年10月27日からは、0時まで運用時間が伸びるようになった。
成田発着枠は空きがあるものの、昼11時や夕方17時以降のピーク時間帯はすでに満杯と離着陸が偏在しており、夜22時台は騒音問題からA滑走路とB滑走路各10回ずつ、計20回までの便数発着制限を設定されており、その影響で夜21時台の発着回数も自主規制されている。これらの制約もあって、再国際化し24時間発着できる羽田空港へ定期便を移管する動きもあるが、羽田空港の混雑のため、大型機の発着枠に余裕があり貨物機の発着枠も多い成田空港との共存が進んでおり、新しい航空会社の就航も進んでいる。
警備
早朝に到着するバスで空港ターミナルビルに入館する場合、社会情勢次第では入場時に身分証明書の提示を求めることもある。このように、過激派の三里塚闘争が沈静化された現在、空港ターミナルビル内で発見される「不審な荷物」の大半は、置き忘れや所有者の都合で置きっ放しにされるものであり、年間100件近く出動する爆発物処理班の出動も、徒労に終わるケースがほとんどである。このため、空港警備隊は「空港内では荷物から決して離れないで」と、旅行者や利用者に注意を促している。
歴史
新空港建設の検討
1960年代の日本では、大型ジェット旅客機の増加に加え高度経済成長により年々増大する国際輸送における航空機の重要性が高まったため、滑走路の拡充による発着能力の向上が望まれていた。加えて、日本航空も発注していた「ボーイング2707」や「コンコルド」などの開発が当時検討・着手されており、今後の国際間移動の主流となると予想されていた超音速旅客機の就航にも備えて、滑走路の長大化も求められた。そのため、当面の航空需要については羽田空港の再拡張で対応することとされたが、運輸省による検討では、
- 羽田空港の沖合に拡張した場合、東京港の港湾計画との調整がきわめて難しい。
- 当時の港湾土木技術では不可能であった。
- アメリカ空軍管制区域(横田飛行場管轄の「横田ラプコン」)などとの兼ね合いから、航空機の離着陸経路の設定が著しい制約を受ける。
- 仮に拡張できたとしても、空港の処理能力は20 - 30パーセント程度の増加に留まる。
などを理由として、羽田空港の拡張のみでは長期的な需要に対応できないと判断された。
新空港建設
このため、1962年(昭和37年)より運輸省は新たな国際空港の候補地についての本格的な調査を開始し、1965年(昭和40年)6月1日には「新東京国際空港公団法」が成立している。新空港の建設候補地としては、
- 千葉県浦安市(旧:東葛飾郡浦安町)沖の埋め立て地
- 千葉県富里市・八街市(旧:印旛郡富里村・八街町)
- 茨城県の霞ヶ浦沖の埋め立て
- 神奈川県横浜市金沢区の金沢八景沖の埋め立て地
などが挙げられ、官僚や地元に利権を持つ政治家らの駆け引きを経て、1965年(昭和40年)11月18日富里・八街での建設(仮称:富里・八街空港)がいったん内定した。しかし、日本共産党や日本社会党の指導のもとで、地元住民らからの激しい反対運動が起こる。
これを受けた佐藤栄作内閣(中村寅太運輸大臣)は、建設予定地を成田市三里塚(仮称:三里塚空港)にすることを、1966年(昭和41年)6月22日に友納武人千葉県知事に提案した。これは、国有地である宮内庁下総御料牧場や県有林を活用でき、またその周辺の土地の多くは比較的開墾からの日が浅い戦後開拓の入植地であったため、用地買収が容易に進むと考えたためである。
計画が迷走している間にも羽田空港の発着容量が限界に達しつつあったことや、全日空羽田沖墜落事故等航空機事故の頻発による航空施設に対する安全意識の高まりを背景に、反対運動と野党や左翼が再び結束することを恐れる佐藤内閣は、わずか2週間後の7月4日に、新東京国際空港の建設地を千葉県成田市三里塚とする閣議決定を行った。7月5日、関係政令を公布した。
反対運動
しかし、十分な説明もないままに行われたこのスピード決定は、移転の強制や騒音問題を懸念する周辺住民らからの猛烈な反対を却って招くこととなり、地元住民らは日本共産党や日本社会党の指導のもとで、三里塚芝山連合空港反対同盟を結成した。
その後、補償内容の提示・交渉により大多数の地権者らは移転に応じ反対同盟を離脱したが、反対同盟に残る者たちは機動隊投入などの政府の強行策に対しさらに反発を強め、当時興隆していた学生らを主体とする新左翼勢力と結びつくとともに、次第に過激化していった(別項成田空港問題を参照)。
空港をめぐる対立は、行政の強権発動ならびにこれに対抗する暴動やテロリズムに発展し、ついには東峰十字路事件、東山事件、芝山町長宅前臨時派出所襲撃事件、成田空港管制塔占拠事件で警察官に死者を出すに至った。当初は1972年10月開港を予定していたが、上記の反対運動に加えてジェット燃料輸送用のパイプラインの完成が遅れたため無期延期となり、周辺のホテルを含め施設はほとんど完成していたにもかかわらず具体的な開港のめどが立たなくなった。
1977年、内閣総理大臣に就任した福田赳夫の号令のもとで、開港を阻んでいた妨害鉄塔(5月6日に、千葉地裁から仮処分決定を得た空港公団が航空法違反物件として撤去)と燃料輸送(9月14日までに、鉄道による航空燃料の暫定的な輸送について全沿線自治体からの同意を取得)の問題が解消し、同年11月28日の運輸省告示第六百八号により、ようやく1978年3月30日開港という具体的なスケジュールが周知された。
反対運動の過激化と国民の乖離
1978年5月5日、京成電鉄が開港後の空港連絡列車「スカイライナー」に投入するため新製し、車庫に留置されていた京成電鉄AE車が放火され、4両が全半焼するという京成スカイライナー放火事件が発生した。また、5月19日にも京成本線5か所で同時多発列車妨害事件が引き起こされた。
京成電鉄を筆頭に、地元の列車内では反対派が事実上占拠しており、車内では竹槍をかざしながら対立組織に対する「検問」が日常茶飯事に行われていた。地元住民の生活の足である『京成電鉄へのテロ行為』は、もはや空港反対運動の枠を超えた、地域の社会基盤そのものへの破壊活動であり、空港周辺部以外の京成線沿線の住民からの反対派への白眼視を招いたのみならず、この頃始まった新左翼そのものの衰退や、当初の目的である開港阻止が叶わなかったことで『成田空港粉砕』を唱え、より先鋭化の傾向を見せる反対派に対して、国民感情は加速度的に乖離していった。
さらに、予定日の4日前に起きた成田空港管制塔占拠事件で空港の管制設備が破壊されたことで開港はさらに延期され、実際の開港日は同年5月20日となった。この事態を受けて、成田開港に意欲的に取り組んでいた福田内閣は「この暴挙が、単なる住民の反対運動とは異なる異質の法と秩序の破壊、民主主義体制への挑戦であり、徹底的検挙、取締りのため断固たる措置をとる」と声明を出し、衆参両院では「過激派集団の空港諸施設に対する破壊行動は、明らかに法治国家への挑戦であり、平和と民主主義の名において許し得ざる暴挙である」とする決議が与野党賛成のもとで可決された。「新東京国際空港の開港と安全確保対策要綱」「新東京国際空港の安全確保に関する緊急措置法」が制定され、これを契機に千葉県警察本部警備部に空港の安全確保を目的とする「新東京国際空港警備隊」(現・千葉県警察成田国際空港警備隊)が同年7月に発足している。
この様な管制塔占拠事件も含めて、空港反対派と新左翼は同列視されるようになり、大半の国民が反対運動そのものを「特異な思想を持った限られた人間による反社会的テロ行為」として捉えるようになっていった。また、政府の断固たる姿勢と開港、運用の開始、そのために空港とその周辺地域に敷かれた厳重な警備態勢は、反対派の存在を多くの国民から有名無実化させていった。
開港後
1978年(昭和53年)5月20日に成田空港はようやく開港を果たしたものの、それ以降も反対派を支援する新左翼活動家らによるテロ・ゲリラ事件などが多発した。これらの活動により、滑走路1本のみで開港した成田空港は、正常な運営や二期工事の着工さえ覚束ない状況に陥ったが、住人無視の反対同盟も運動のあり方をめぐって分裂した。
その後、千葉県全体に深刻な事態を与えた千葉県収用委員会会長襲撃事件も発生したが、運輸大臣江藤隆美による謝罪などを機に住人の一部と国側の歩み寄りが試みられ、1991年(平成3年)11月から東京大学名誉教授隅谷三喜男ほか4名の学識経験者ら(隅谷調査団)主宰のもとで「成田空港問題シンポジウム」が15回にわたって開催され、反対同盟旧熱田派・運輸相・空港公団・県が一定の合意に達した。引き続き1993年(平成5年)9月から12回にわたって開催された「成田空港問題円卓会議」では、日本国政府や千葉県は今後の成田空港の整備を民主主義的手続きで進めていき、土地収用法による土地の強制収用を永久に放棄することが確認された。
隅谷三喜男団長をはじめとする中立委員の努力や、日本国政府の謝罪(1995年に当時の内閣総理大臣村山富市が日本国政府を代表して謝罪した)などを受け、反対派住民の態度も次第に軟化した。その後、二期工事への用地買収に応じる地主が出てきた。
二期工事の中でも特に懸案であった「平行滑走路」については、1996年(平成8年)に、東峰地区の未買収地を避ける形で滑走路を建設する案が計画され、建設前には約100回にも及ぶ地元説明会が実施された。2002年(平成14年)に計画よりも短い暫定滑走路として供用を開始し、2005年(平成17年)には、さらに北に延伸することで計画通りの長さ(2,500メートル)が確保されたが、港内には未買収地が依然点在している。2006年(平成18年)1月15日、空港反対同盟熱田派元代表で地元住民の熱田一が、空港敷地内にある自宅敷地と、所有権を持つ「横堀墓地」を売却することを表明。「若者が世界へ飛び立ち、帰ってくることによって、日本の将来に役立つと考えた」と述べ、反対運動から完全に身を引いた。近年では地元住民のみならず、元学生だった地方出身の反対派の老齢化も進行し、さらにここ10年間は地元住民の反対派がほぼいなくなったことで、反対派による過激行為も完全に見受けられなくなっている。
ドイツのミュンヘン空港はこのような紛争を避けるため、徹底して成田国際空港の事例を研究し、反対派を十分に説得したうえで建設されている(ただし、同空港ではその後需給の逼迫を受けて新滑走路を含む拡張計画が出されており、これに対する反対運動が再燃している)。日本でも、成田国際空港での経験をもとに、のちに建設された大規模国際空港の関西国際空港や中部国際空港、さらに東京国際空港の新滑走路建設においては、騒音問題や土地収用問題などが発生しにくい、海上を埋め立てて造られている。
警備体制
成田空港においては1978年の開港から2015年3月に至るまで、日本の空港としては唯一、世界の首都空港としても稀な「検問制度」があった。従業員や外国人を含む空港施設への入場者全員に「セキュリティチェック」と称して、検問所での身分証明書の提示が課せられていた。また、専門の警察機動隊である「千葉県警察成田国際空港警備隊」(千葉県警察の部内呼称は「空警隊」)が検問所とターミナル内に常駐、巡回しており、世界的に見ても異例の厳重警備が敷かれた。その後、各国のテロ事件 の発生により、おもな目的は不特定多数が集まるターミナル施設でのテロリズム警戒に変化している。
入場に際しては、NAAの警備員がパスポートなど身分証明書を確認、旅客の場合は航空券の提示を求められる場合もあった。空港内店舗の従業員については社員証が必要(関係者専用の検問レーンがある)。近隣住民が通勤、通学などで駅を常時利用する場合、NAAから「入場証」が発行されていた。情勢によっては抜き打ちでカバンなど手荷物を開梱して、荷物検査をされる場合があった。
なお過去には、反対派による集会が空港周辺で行われることが予想される場合、従業員と旅客以外(送迎・空港見学・店舗利用など)の空港施設への立ち入りが原則として禁止されていた。その場合は、対象者以外は検問所で引き返す形式だった(旅客が外国人であったり、介添えを要するなど特段の事情があったりする場合の送迎入場は許可された)。日程が判明し次第、検問所への黄色い立て看板の設置と公式ウェブサイトの「トップページ」上、新聞の「政府広報」広告、首都圏のJRおよび京成電鉄の各駅券売所で告知がなされた。
2000年代以降は、反対派勢力が少数派となっているため年数回に留まっていたが、反対派敷地をNAAへ明け渡しを求める絡みの裁判(審議・判決)が行われた直後に行われる傾向があった。2010年(平成22年)を最後に入場規制は行われていない(実際には、その後の2015年(平成27年)3月30日正午まで入場規制が行われず、2015年(平成27年)3月30日正午をもって身分証の確認による入場規制が廃止となり、顔認証機能を持つカメラなどを配備した新しい警備システムの運用が始まった)。
検問所は、鉄道駅(成田空港駅、空港第2ビル駅、東成田駅)の出口改札(駅を出た時点で空港敷地内にいることになるため)と、空港施設に入るすべての道路上(新空港インターチェンジ出口に隣接する「第1ゲート」、国道295号沿いの「第2ゲート」、千葉県道106号八日市場佐倉線千代田交差点の「第6(南)ゲート」ほか)に設置されていた。路線バスやリムジンバスと一部のホテル送迎バス・スカイライナーなどでは車内放送で空港到着前に「身分証の提示をお願いします」あるいは「空港での検問があります」とアナウンスされていた。
鉄道駅では、旅客機搭乗時の保安検査場と同様のレーン(列)式のものであり、荷物検査が伴わなければ、身分証明書提示のみの短時間で完了した。空港従業員と、それ以外の一般にレーンが区別されていた。自動車では、空港の制限区域入口の道路上に、有料道路の料金所と同等の施設があった。すべての車(マイカー・タクシー・ホテルや私設駐車場の送迎車・リムジンバスを含む路線バス・貸切バス・貨物トラックなどの事業用車)が、一時停車しなければならなかった。運転者は警備員に運転免許証やパスポート・職員証などを提示し、ほかに同行者や乗客がいる場合は、一人ずつ警備員が身分証明書を目視で確認した。
バスの場合は、警備員が車内に乗り込んで確認。自家用車やタクシー、トラックの場合は、一台ずつ鏡で車体の底面を検査されたり、トランクや荷室を開けるよう要求されたりする場合があった。このため、敷地への乗り入れが多く混雑している際や、バスでの全員の確認には3 - 10分程度の停車時間を要した。
また、芝山鉄道の芝山鉄道線では、常に空港警備隊所属の制服警察官複数人が往復乗車し、鉄道車両内の警戒にあたっている(当該項目参照)。警備情勢によっては、京成成田空港線のアクセス特急などの空港連絡鉄道にも、千葉県警察の制服警察官が空港駅と途中駅の間を往復乗車し、同様の警戒にあたることがあった。
警備体制の見直しと検問の廃止
前述の警察による空港警備隊とは別に、NAAでも警備組織を子会社に置いて施設警備にあたっている。その人件費は2005年(平成17年)で94億円など、年間100億円近くになる。こうした警備費は空港経営に深刻な影響を及ぼしていた。
2000年代後半には、検問警備維持費の負担が大きく、改札検問による旅客流動の遅滞化、車両検問による渋滞発生が問題視されていた。京成成田空港線が開通する2010年(平成22年)7月をめどに、監視カメラの活用など警備の機械化を推進し改札検問を廃止し、ほかの検問についても順次縮小か廃止の方向を検討した。該当時点では正式決定はされておらず、2012年(平成24年)10月時点でも従来の状態となっていた。
2012年(平成24年)9月27日、NAAは定例記者会見で、現在の警備体制の見直しについて「速やかに関係機関と協議したい」と、前向きに取り組む方針を表明。すでに警備当局と事務レベルの協議を始めたことを明らかにした。この背景には、2012年夏以降にジェットスター・ジャパンやエアアジア・ジャパンなどの格安航空会社が就航したことや、羽田空港の再国際化による競争激化が挙げられている。
千葉県警察本部長は科学技術の高度化などを例に挙げ、現行と同様の警戒体制を持つ機械警備の導入により検問体制の見直しに前向きな姿勢をとった。「ノンストップゲート」化に備えた警備システムの導入により、2015年(平成27年)3月30日の正午をもって検問は全面廃止となった。
年表
空港開設まで
- 1962年(昭和37年)11月16日:新空港建設の方針を閣議決定。
- 1963年(昭和38年)
- 6月10日:運輸省航空局が検討資料「新東京国際空港」を発行。4,000メートル滑走路2本、3,600メートル滑走路1本、2,500メートル滑走路2本の巨大空港案が計画される。立地箇所については特定はされていない。
- 8月27日:富里案および霞ヶ浦案を運輸相が提示。富里・八街反対同盟が結成される。
- 1965年(昭和40年)
- 6月1日:新東京国際空港公団法成立(1966年7月7日施行)。
- 11月19日:閣僚会議懇談会が開かれ、富里案に内定する。
- 1966年(昭和41年)
- 3月15日:富里村(現・富里市)、八街町(現・八街市)、山武町(現・山武市)、酒々井町、芝山町の5町村長が「富里空港返上声明書」を提出する。
- 6月22日:佐藤栄作首相(当時)が友納武人千葉県知事(当時)に成田市三里塚案を提示。
- 7月4日:佐藤栄作内閣が「s:新東京国際空港の位置及び規模について」を閣議決定し、建設地が正式に千葉県成田市三里塚地区の宮内庁下総御料牧場付近と定められる。
- 7月30日:新東京国際空港公団(NAA)設立。
- 1967年(昭和42年)8月1日:「公共用飛行場周辺における航空機騒音による障害の防止等に関する法律」が公布、施行。
- 1971年(昭和46年)
- 2月22日:建設予定地で第一次行政代執行が開始される。
- 9月16日:建設予定地で第二次行政代執行が開始される。同日、東峰十字路事件が発生。
- 1977年(昭和52年)
- 5月6日:4,000メートル滑走路の南側延長上に反対派によって建設された、高さ約30メートルおよび、約60メートルの鉄塔2基が航空法第49条違反の物件であるとして、空港公団は千葉地方裁判所に妨害物除去仮処分命令申請書を提出。千葉地裁の仮処分決定を受け、2基の鉄塔が除去される。
- 5月7日:(運輸省航空局のYS-11型機)によって、航空保安施設のフライト・チェック(飛行検査)が実施される。
- 8月22日:進入表面等の制限表面の上に出る立木の伐採が完了。
- 11月11日:千葉県銚子市上空の飛行に関する合意を同市から得る。
- 11月26日:飛行場および航空保安施設の完成検査に合格。空港公団は新空港の供用開始日を、運輸大臣福永健司に提出。
- 11月28日:運輸大臣福永健司が開港日を昭和53年3月30日と告示。
- 12月3日:ICAO(国際民間航空機関)および関係50か国に対し新空港開港に関わるノータム(航空情報)を発出し、新空港開港を宣言する。
成田空港の開港
- 1978年(昭和53年)
- 3月24日:財団法人空港保安事業センターが開設。
- 3月26日:成田空港管制塔占拠事件の発生で3月30日開港が事実上不可能になる。
- 3月28日:新東京国際空港関係閣僚会議において、新空港開港(3月30日)延期を正式に決定。運輸省も新空港開港延期に関わるノータムを、世界の航空関係機関に発出する。
- 4月4日:新東京国際空港関係閣僚会議において『新東京国際空港の開港と安全確保対策要綱』を決定。新たな開港日を5月20日に決定。運輸省は新たにノータムを全世界に発出する。
- 5月5日:宗吾車両基地に留置中の京成電鉄の特急車両「スカイライナー」に中核派が放火、1両が全焼(京成スカイライナー放火事件)。
- 5月20日:開港。空港ターミナルビルでの記念式典は、厳戒の中、運輸大臣福永健司ほか関係者56名のみ出席、その様子を伝えるマスメディアだけの開港式となる。
- 5月21日:開港後の初便である日本航空のロサンゼルス国際空港発のダグラス DC-8-62F貨物機が、到着第1便として着陸。正午過ぎに、旅客機到着第1便となるフランクフルト空港発の日本航空機が着陸。搭乗者には「新空港の開港は、まさに新しい航空輸送時代の幕開けとも申すべき出来事でございます」とのメッセージとともに朝田静夫社長のサインが入った搭乗記念証が配られた。京成電鉄空港線(京成成田駅 - 成田空港駅、現:東成田駅)が開業。京成上野駅からの特急「スカイライナー」が運行開始。新空港自動車道と新空港インターチェンジが供給開始。
- 5月22日:出発第1便として、大韓航空の貨物機であるソウル(金浦国際空港)行きが離陸。その後、旅客機の出発第1番機として、グアム(グアム国際空港)行きが離陸。
- 7月:新東京国際空港警備を目的として千葉県警察に新東京国際空港警備隊が創設される。
1980年代
- 1983年(昭和58年)
- 8月8日:航空燃料B系パイプライン供用開始(航空燃料暫定輸送終了)。
- 1984年(昭和59年)
- 6月23日:開港以来の国際旅客5,000万人達成。
- 8月1日:航空燃料A系パイプライン供用開始(1日あたり2万2,000キロリットル、年間最大800万キロリットル)。
- 11月14日:燃料パイプライン1本が、過激派の襲撃によって停止する。
- 1985年(昭和60年)
- 5月8日:日本貨物航空が就航。
- 6月23日:第1ターミナル2階の荷捌き場でカナダのバンクーバーから到着したカナダ太平洋航空機に積まれていた航空貨物が爆発、2名が死亡し4名の負傷者が出る(成田空港手荷物爆発事件)。
- 1986年(昭和61年)
- 3月3日:全日本空輸が国際線定期便(成田 - グアム)運航を開始。
- 10月29日:橋本龍太郎運輸大臣が、参議院本会議で成田新幹線建設断念を表明。
- 11月26日:第2期工事に着工。
- 1988年(昭和63年)
- 3月19日:開港以来の国際旅客1億人達成。
- 5月:運輸大臣石原慎太郎が、成田新幹線成田空港駅を視察し、成田空港高速鉄道の整備を指示。
- 1989年(平成元年)2月28日:第1旅客ターミナルビル南ウイング附属棟完成。
1990年代
- 1990年(平成2年)
- 9月28日:開港以来の国際旅客1億5,000万人達成。
- 11月6日:開港以来の発着回数が100万回達成。
- 1991年(平成3年)
- 1月18日:開港以来の航空貨物取扱量1,000万トン達成。
- 3月19日:成田空港高速鉄道による上下分離方式で、JR成田線成田駅 - 成田空港駅間、京成本線京成成田駅 - 成田空港駅間が開業。
- 4月10日:A滑走路脇にジャンボ花時計が設置される(工費約7,000万円)。
- 8月1日:2期区域エプロン一部供用開始。
- 11月21日:第1回成田空港問題シンポジウム開催(以後15回開催)。
- 1992年(平成4年)
- 2月20日:情報通信センター、北オペレーションセンター供用開始。
- 12月3日:第2旅客ターミナルビル地下駅「空港第2ビル駅」供用開始。
- 12月6日:第2旅客ターミナルビル供用開始、第1旅客ターミナルビル北ウイング、第1および第2サテライト閉鎖。
- 1993年(平成5年)
- 2月2日:新管制塔供用開始(全高92.3メートル)。
- 2月5日:開港以来の国際旅客2億人達成。
- 5月24日:第15回成田空港問題シンポジウム開催(終了)。
- 9月20日:第1回成田空港問題円卓会議開催(以後12回開催)。
- 1994年(平成6年)
- 9月15日:A滑走路16(北側)進入方式フルカテゴリーII運用開始。
- 10月11日:成田空港問題解決のための「第12回成田空港問題円卓会議」で、国と反対派が学識経験者による調停案を受入れ(円卓会議終了)。
- 10月29日:空港内で心筋梗塞となり死亡した女性の夫の働きかけにより、空港公団が空港内に急患対応室を設置。
- 1995年(平成7年)4月8日:開港以来の国際旅客2億5,000万人達成、第2サテライト供用開始、第1旅客ターミナル改修開始。
- 1996年(平成8年)
- 3月28日:ILSカテゴリーIIIa運用開始、およびストップ・バーシステム供用開始。
- 7月1日:新東京国際空港公団(NAA)本社が成田空港内に移転。
- 1997年(平成9年)
- 4月3日:開港以来の国際旅客3億人達成。
- 10月13日:開港以来の航空貨物取扱量2,000万トン達成。
- 1998年(平成10年)
- 1999年(平成11年)
- 3月16日:第1旅客ターミナルビル北ウイング・中央ビル新館供用開始(南ウイング閉鎖)。
- 4月27日:新消音施設(ノイズリダクションハンガー)竣工。
- 5月10日:平行滑走路2000年度完成目標断念を発表。
- 9月3日:平行滑走路等の整備に関する工事実施計画の変更認可申請。
- 9月12日:太陽光発電システム運用開始。
- 12月3日:平行滑走路工事着工。
2000年代
- 2000年(平成12年)
- 4月1日:コージェネレーションシステム導入・運用開始。
- 7月7日:第1ターミナルビル第2サテライト供用開始。
- 2001年(平成13年)10月31日:暫定平行滑走路の完成。
- 2002年(平成14年)
- 2月21日:暫定平行滑走路(B滑走路)の供用開始日に関するノータム(航空情報)を発出する。
- 4月18日:2本目の滑走路・暫定平行滑走路の供用開始。これにより、「片肺空港」と呼ばれた成田空港の滑走路が2本となった。また、中華民国(台湾)のチャイナエアライン(中華航空)とエバー航空(長榮航空)が羽田から成田へ移管、中国国際航空など中華人民共和国の航空会社と翼を並べることとなる。
- 4月25日:成田高速鉄道アクセス株式会社が設立。
- 5月13日:回転翼航空機(ヘリコプター)の受け入れ条件を一部緩和。
- 5月27日:第2旅客ターミナルビル出発ロビー北側増築部(Wカウンター・Yカウンター)の供用開始。
- 9月25日:第2旅客ターミナルビルスイングゲートの供用開始。
- 10月16日:空港南口ゲートの供用開始。
- 10月27日:芝山鉄道の供用開始。
- 12月16日:第1旅客ターミナル第3サテライトの供用開始。
- 2003年(平成15年)
- 1月20日:公団、新東京国際空港の改称「成田国際空港」および新会社「成田国際空港株式会社」の名称について、扇千景国土交通大臣へ要望書を提出。
- 4月17日:第2旅客ターミナルビル北側および地上通路沿いのスポットの供用開始。
- 5月29日:開港以来の航空貨物取扱量3,000万トン達成。
- 11月17日:航空燃料輸送量1億キロリットル達成。
- 2004年(平成16年)
- 4月1日:新東京国際空港公団が民営化され「成田国際空港株式会社」に改組し、同時に空港の正式名称も新東京国際空港から「成田国際空港」に改称。第2給油センター供用開始。
- 10月19日:第1ターミナルの第1サテライトと第2サテライトを結ぶ連絡通路が開通。
- 11月25日:第1旅客ターミナルビルの第4サテライトが開業。
- 2005年(平成17年)
- 6月8日:開港以来の離着陸回数が300万回達成。
- 7月15日:暫定平行滑走路を本来の計画とは逆の北側延伸で、国交相と成田国際航空会社・社長が同意した。
- 11月18日:旧新東京国際空港公団発注の成田空港電気設備工事で、空港公団主導による受注調整など官製談合の疑いが浮上、関わった電機企業各社とNAAが東京地方検察庁特別捜査部の捜索を受けた。
- 2006年(平成18年)
- 4月13日:ILSカテゴリーIIIb運用開始。
- 6月2日:航空会社再配置、第1旅客ターミナル南ウイング(第5サテライト)・第4 - 第5サテライト連絡地下通路が供用開始。
- 7月10日:NAA、国に対し平行滑走路の北伸2,500メートル化に伴う飛行場変更申請。
- 2007年(平成19年)
- 11月18日:開港以来の航空貨物取扱量4,000万トン達成。
- 12月26日:第1旅客ターミナル中央エリアおよび北ウイングの供用開始。
- 2008年(平成20年)
- 3月16日:15日午後5時すぎから4時間近くにわたり、北朝鮮から発射された妨害電波により、成田空港の管制システムで混信が発生する。業務に支障は起きなかったが、総務省は国際電気通信連合(ITU)の無線通信規則に定める識別信号の送出を行っていないと認められたため、国際電気通信連合に通報した。
- 4月1日:緊急地震速報を運用導入。
- 5月20日:開港30周年を迎え記念式典が催され、これを記念して日本航空のボーイング747-400型機に特別塗装が施された。
- 9月12日:旧NAA本社ビル跡地に第5駐車場(P5)がオープン。
- 10月4日:第2ターミナル、サテライト到着コンコース和的整備がグッドデザイン賞を受賞する。
- 10月16日:第7貨物ビルおよび貨物地区トラック待機場の供用開始。
- 2009年(平成21年)
- 3月23日:フェデックスのマクドネル・ダグラス MD-11FがA滑走路への着陸を失敗し大破炎上、乗員2名が死亡した(フェデックス80便着陸失敗事故)。開港以来初の全損および死者の出た事故である。
- 4月:上記の事故を受け、B滑走路2,500メートル供用開始時期を「2010年3月から2009年10月に前倒しする」方向でNAAと国土交通省が協議に入る。
- 5月20日:NAAと国土交通省の協議の結果、B滑走路2,500メートル供用開始日を「2009年10月22日」に正式決定。成田市の小泉一成市長は、同日、NAAによるB滑走路供用開始日が決定したことに伴い「航空機の発着時の安全性がより確保されるとのことで一定の理解をする」としたうえで、「NAAに対して、騒音の影響を受ける地域への丁寧な説明を要請している」と述べた。
- 7月30日:B滑走路東側誘導路、供用開始。
- 10月22日:B滑走路、2,500メートル化供用開始。
- 12月15日:成田空港周辺の9市町長(成田空港圏自治体連絡協議会)は夜間の離着陸禁止の規制を緩和し、運航時間を延長する案をNAA側に示す。
2010年代
- 2010年(平成22年)
- 3月:千葉県の森田健作知事は、乗客のさらなる誘致と羽田空港との差別化、地元の雇用増加効果などを狙って旅客ターミナルの制限エリア内に外国人専用のカジノ施設を設けることを検討していることを発表した。
- 3月28日:A滑走路を離陸専用、B滑走路を着陸専用に使い分け開始。
- 7月17日:京成電鉄の新路線として成田スカイアクセス線が開業。特急スカイライナーでの空港第2ビル駅 - 日暮里駅間が最速36分、都営地下鉄浅草線と京浜急行電鉄を経由して羽田空港へと直通する一般列車「アクセス特急(都営線・京急線内エアポート快特)」での成田空港駅 - 羽田空港第1・第2ターミナル駅間も最短1時間34分と、鉄道での空港アクセスが改善された。
- 9月17日:利用者のさらなる利便性を図るための取り組みとして、第2ターミナルにおいて、NAAとJTBグローバルマーケティング&トラベルによる成田空港プレミアムコンシェルジュサービスの共同実証実験が期間限定(同年11月16日まで)で開始する。
- 2011年(平成23年)
- 3月11日:東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)発生、成田空港では震度5強を記録。点検のため、空港は一時閉鎖となった。成田空港関連では、70機がダイバートし、8,500人が帰宅困難者となった。
- 6月23日:NAAが成田空港闘争の史実や反対派のヘルメットなどを展示した資料館「成田空港 空と大地の歴史館」を航空科学博物館駐車場傍に竣工し、開館。
- 2012年(平成24年)
- 7月3日:京成バス・成田空港交通が東京駅八重洲口 - 成田空港間で、格安高速バス「東京シャトル」を運行開始。その後、好評につき増便し、京成バスシステム・リムジンパッセンジャーサービスが運行に加わった。LCC利用者からの評価が高く、当初予定の半値である運賃1,000円で運行。
- 8月10日:平和交通が銀座数寄屋橋・東京駅八重洲口 - 成田空港間に運賃1,000円の格安高速バス「THE アクセス成田」を運行開始。2013年からはあすか交通が、2014年からはジェイアールバス関東が共同運行に加わる。
- 10月23日:第2ターミナルビル北側に完成した、LCC専用の国内線ターミナルが利用開始。
- 12月13日:A滑走路を、4,000メートルの全面運用を開始。
- 2013年(平成25年)
- 3月7日:B滑走路の西側誘導路の約720メートル延長と横堀地区エプロンの供用開始。これによりA滑走路、B滑走路、2本の滑走路の発着数が1時間あたり58回から64回に増え、年間発着枠も25万回から27万回に拡大された。
- 3月31日:オープンスカイ(航空自由化)開始。悪天候などやむを得ない場合に限り離着陸を午前0時まで延長。
- 4月1日:国際線の着陸料を平均5.5パーセント値下げ。値下げは2005年以来となる。
- 5月20日:空港開港から35年となる。いまだに建設計画自体が終了していないが、2012年(平成24年)末から、本来の機能が発揮可能となった。
- 7月31日:地方自治体や民間事業者による「成田空港活性化協議会」発足。
- 9月27日:第2ターミナルビルとサテライトビルを結ぶ新たな連絡通路の供用を開始し、シャトルシステムの運行を終了した。
- 2014年(平成26年)
- 10月30日: 第3ターミナルビル(LCC専用ターミナルビル)が第2ターミナルビルの北側に完成し、2015年(平成27年)4月8日より供用を開始すると発表。その後、予定通り第3ターミナルビル開業が実現し、増設された既存ターミナル駐機場とともに、訪日外国人旅行ブームによる外国人観光客急増に対応した。
- 2015年(平成27年)
- 3月30日:1978年(昭和53年)5月20日の空港開港以来続けてきた、利用客らの身分証明書を1人ずつ確認する、成田空港入場前の検問が正午をもって廃止された。顔認識システムや監視カメラなどを利用した新しい機械警備システムの運用が開始。
- 4月8日:第3ターミナルビルの利用開始。
- 11月12日:携帯型機械翻訳装置「メガホンヤク」が試験導入された。
- 12月31日:第3ターミナルがオープンした2015年(暦年)の年間総利用者数(国際線および国内線の合計)が、前年比5パーセント増の3,732万8,213人となり、開港以来過去最高記録を更新。
- 2016年(平成28年)
- 3月15日:第1ターミナル第5サテライトにて、固定ゲートの増築部分がオープンした。
- 3月18日:芝山町にA滑走路16Rから600メートル離れた場所に、新観光・航空機撮影スポット「ひこうきの丘」がオープン。多くの航空ファンに好評を博している。
- 5月11日:2015年度運用実績(2015年4月 - 2016年3月)の発表により、国際線外国人旅客や国内線旅客の大幅増を受け、総旅客数は7パーセント増の3,794万1,435名となり、第3ターミナルオープンの効果も大きく黒字増大に貢献し、成田国際空港年間利用者数は2年連続で過去最高人数を記録した。国際線外国人旅客数は前年比21パーセント増の1,290万667名と、2年連続でこれまでの最高値を更新。東南アジアへの査証免除措置や円安基調の継続で、特にASEAN諸国からの訪日客増となった。国内線旅客数は、LCC路線好調で15パーセント増の688万5,598名となり、7年連続で最高記録を示す結果となった。国内・国際線発着回数も前年度比3パーセント増の合計23万5,190回となり、4年連続で過去最高を記録した。
- 12月22日:成田国際空港のウェブサイトが全面リニューアルされる。
- 2017年(平成29年)
- 2018年(平成30年)
- 3月13日:夜、千葉県・国・地元9市町・NAAからなる四者協議会で、滑走路増設や運用時間延長を含む成田空港のさらなる機能強化について最終合意される。
- 5月20日:空港開港から40年となる。
- 7月3日:定期便を乗り入れる航空会社が、開港以来初の100社に到達。
- 8月:総旅客数が単月で初めて400万の大台を超える(400万3,567人)。
- 11月21日:国際空港評議会(ACI)から空港カーボン認証プログラムでレベル3を取得(国内初)。
- 12月6日:高速離脱誘導路線形改良の先行部を供用。
- 2019年(令和元年)
- 8月27日:出国手続きでの「顔認証ゲート」と入国時の税関での「電子申告ゲート」の対象を外国籍の旅行者にも拡大。
- 9月5日:第3ターミナル1階の到着ロビーを拡張。拡張面積は約1,600平方メートル。
- 10月27日:開港以来初めて夜間発着時間延長。
- 11月5日:基本計画が53年ぶりに改定。
- 11月28日:物販・飲食エリア「成田アニメデッキ」が国際線第2ターミナルで開業。
2020年代
- 2020年(令和2年)
- 3月26日:新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による影響への救済として、料金・営業料の減免や支払の猶予など航空会社約100社をはじめとする約400社を対象とする100億円規模の支援実施をNAAが発表。
- 4月12日:COVID-19の世界的な蔓延にともない、航空機の発着回数が大きく減少したため、この日よりB滑走路を一時的に閉鎖。
- 4月20日:この日より、ターミナルの一部施設を閉鎖。対象は、第1ターミナルは第1・4サテライト、国内線エリア、第2ターミナルはサテライト(本館との連絡通路を含む)。
- 7月22日:4月12日から閉鎖していたB滑走路を101日ぶりに再開。
- 9月10日:「ランプセントラルタワー」供用開始。
- 2021年(令和3年)
- 1月:ACIからAirport Health Accreditation(AHA)プログラムの認証取得(日本初)
- 3月17日:旧管制塔の取り壊しが開始。
- 3月25日:北総VOR/DME廃止。
- 2023年(令和5年)
- 5月:新型コロナの5類移行後初の大型連休(4/28-5/7)の期間に国際線を利用した人は約56万6000人余り(日本人:約19万人、外国人:37万6000人)。コロナ前の2019年は109万人余りで、今年は半分程度まで回復。出国先は韓国が最多の19%、ついでアメリカ・台湾が多かった。
本拠空港・ハブ空港(拠点空港)としている航空会社
以下の航空会社がこの空港を本拠空港もしくはハブ空港(拠点空港)としている。
- 旅客
- 日本航空
- 全日本空輸
- エアージャパン
- ZIPAIR Tokyo
- ジェットスター・ジャパン
- スプリング・ジャパン
- Peach Aviation
- 貨物
- 日本貨物航空
- 全日本空輸
- 日本航空
また、ユナイテッド航空は主要空港としてハブ空港ほどの規模にはならないものの、東京国際空港とともに日本における重要な空港とされている。
就航路線
プロジェクト‐ノート:空港・飛行場/スタイルマニュアルに、このページに関する議論があります。(2023年9月) 議論の要約:{{空港就航地}}を用いた就航航空会社、就航先の表記フォーマットの統一 |
- 臨時便、不定期便、チャーター便のみの就航会社を除く。
- 太字は同空港をハブ空港にしている航空会社。
- ( )内の記号は、最初が航空会社コード、2つ目が航空連合(アライアンス)。
- 2つ目の( )がない航空会社はアライアンスに加盟していない航空会社となっている。
- 下記の記号は右記のとおり。(OW):ワンワールド、(ST):スカイチーム、(SA):スターアライアンス
- すでにアライアンスへの加盟手続きを行った航空会社については加盟予定と記述。
- 語末の★は、格安航空会社(LCC)。
- 新型コロナウイルス感染症やロシアのウクライナ侵攻の影響により、長期運休となっている路線もある。詳細は航空各社のホームページを参照。
国際線
国際線の発着便数、乗り入れ航空会社数とともに日本最大規模を誇り、近年も新規乗り入れを行う航空会社が後を絶たない。旅客ターミナルは基本的に航空連合別に分かれており、第1ターミナル北ウイングはスカイチーム加盟各社、第1ターミナル南ウイングはスターアライアンス加盟各社、第2ターミナルはワンワールド加盟各社がそれぞれ中心になって使用している。ただしスカイチーム所属では中国東方航空、チャイナエアラインが第2ターミナル、スターアライアンス所属ではエア・インディアが第2ターミナルを使用するなど例外もある。なお、第3ターミナルは格安航空会社(LCC)の専用ターミナルとなっている。
第1ターミナル
北ウイング
航空会社 | 就航地 |
---|---|
ZIPAIR Tokyo (ZG)★ | (東アジア)ソウル/仁川 (東南アジア)マニラ、バンコク/スワンナプーム、シンガポール (北米)ロサンゼルス、サンフランシスコ、サンノゼ、バンクーバー (太平洋)ホノルル |
Peach Aviation (MM)★ | 台北/桃園 |
大韓航空 (KE)(ST) | ソウル/仁川、釜山、済州 |
ジンエアー (LJ)★ | ソウル/仁川、釜山 |
中国南方航空 (CZ) | 上海/浦東、広州、大連、長春、瀋陽、ハルビン、鄭州(2024年9月26日より運航再開予定)、武漢(2024年9月30日より運航再開予定) |
厦門航空 (MF)(ST) | 福州、厦門 |
四川航空 (3U) | 成都/天府 |
香港航空 (HX) | 香港 |
アエロ・モンゴリア (M0) | ウランバートル |
ロイヤルブルネイ航空 (BI) | バンダルスリブガワン |
ベトナム航空 (VN)(ST) | ハノイ、ホーチミンシティ、ダナン |
タイ・ライオン・エア (SL)★ | 台北/桃園、バンコク/ドンムアン(台北/桃園経由) |
ビーマン・バングラデシュ航空 (BG) | ダッカ |
ガルーダ・インドネシア航空 (GA)(ST) | マナド、デンパサール(GA884/885はマナド経由) |
エティハド航空 (EY) | アブダビ |
エル・アル航空 (LY) | テルアビブ |
エールフランス (AF)(ST) | パリ/CDG(2024年10月26日をもって運休予定) |
KLMオランダ航空 (KL)(ST) | アムステルダム |
アエロメヒコ航空 (AM)(ST) | モンテレイ(AM1058便のみ)、メキシコシティ(AM1058便はモンテレイ経由) |
ウエストジェット航空 (WS) | カルガリー |
南ウイング
航空会社 | 就航地 |
---|---|
全日本空輸 (NH)(SA) | (東アジア)上海/浦東、大連、杭州、香港 (東南アジア)マニラ、ハノイ、ホーチミンシティ、バンコク/スワンナプーム、クアラルンプール、シンガポール、ジャカルタ (南アジア)ムンバイ (北米)シカゴ/オヘア、ロサンゼルス、サンフランシスコ (中南米)メキシコシティ (ヨーロッパ)ブリュッセル (太平洋)ホノルル (オセアニア)パース(季節運航) |
AirJapan (NQ)★ | ソウル/仁川、バンコク/スワンナプーム、シンガポール |
エバー航空 (BR)(SA) | 台北/桃園、高雄 |
アシアナ航空 (OZ)(SA) | ソウル/仁川 |
エアソウル (RS)★ | ソウル/仁川 |
エアプサン (BX)★ | ソウル/仁川、釜山 |
中国国際航空 (CA)(SA) | 北京/首都、上海/浦東、杭州、大連、天津(大連経由) |
深圳航空 (ZH)(SA) | 深圳 |
タイ国際航空 (TG)(SA) | バンコク/スワンナプーム |
シンガポール航空 (SQ)(SA) | シンガポール、ロサンゼルス |
スクート (TR)★ | 台北/桃園、シンガポール(TR874/875およびTR898/899は台北/桃園経由) |
オーストリア航空 (OS)(SA) | ウィーン(季節運航) |
スイス インターナショナル エアラインズ (LX)(SA) | チューリッヒ |
LOTポーランド航空 (LO)(SA) | ワルシャワ |
ウズベキスタン航空 (HY) | タシュケント |
ターキッシュ エアラインズ (TK)(SA) | イスタンブール |
エチオピア航空 (ET)(SA) | ソウル/仁川、アディスアベバ(ソウル/仁川経由) |
ユナイテッド航空 (UA)(SA) | (東南アジア)セブ(2024年10月27日より就航予定) (北米)ニューヨーク/EWR、デンバー、ヒューストン/IAH、サンフランシスコ、ロサンゼルス (太平洋)グアム、サイパン |
エア・カナダ (AC)(SA) | バンクーバー、トロント、モントリオール |
ニュージーランド航空 (NZ)(SA) | オークランド |
エジプト航空 (MS)(SA) | カイロ |
第2ターミナル
航空会社 | 就航地 |
---|---|
日本航空 (JL)(OW) | (東アジア)上海/浦東(2024年10月27日より運航再開予定)、台北/桃園、香港 (東南アジア)マニラ、ハノイ、ホーチミンシティ、バンコク/スワンナプーム、クアラルンプール、シンガポール、ジャカルタ (南アジア)ベンガルール (北米)ボストン、ロサンゼルス、サンフランシスコ、サンディエゴ、シアトル、バンクーバー (ヨーロッパ)フランクフルト (太平洋)ホノルル、コナ(繁忙期運航)、グアム (オセアニア)メルボルン |
チャイナエアライン (CI)(ST) | 台北/桃園、高雄 |
タイガーエア台湾 (IT)★ | 台北/桃園、高雄、台中(定期チャーター便) |
スターラックス航空 (JX) | 台北/桃園 |
イースター航空 (ZE)★ | ソウル/仁川 |
ティーウェイ航空 (TW)★ | ソウル/仁川、大邱 |
エアプレミア (YP)★ | ソウル/仁川 |
中国東方航空 (MU)(ST) | 上海/浦東、南京、西安、武漢、昆明、青島 |
海南航空 (HU) | 北京/首都、西安 |
吉祥航空 (HO) | 上海/浦東、無錫 |
キャセイパシフィック航空 (CX)(OW) | 台北/桃園、香港(CX450/451は台北/桃園経由) |
香港エクスプレス航空 (UO)★ | 香港 |
グレーターベイ航空 (HB)★ | 香港 |
マカオ航空 (NX) | マカオ |
MIATモンゴル航空 (OM) | ウランバートル |
フィリピン航空 (PR) | マニラ、セブ |
セブパシフィック航空 (5J)★ | マニラ、セブ、クラーク |
ベトジェットエア (VJ)★ | ハノイ、ホーチミンシティ |
タイ・エアアジア (FD)★ | 高雄、バンコク/ドンムアン(高雄経由) |
タイ・エアアジア X (XJ)★ | バンコク/スワンナプーム(2024年9月30日をもって運休予定)、バンコク/ドンムアン(2024年10月1日より運航再開予定) |
マレーシア航空 (MH)(OW) | クアラルンプール、コタキナバル(季節運航) |
バティック・エア・マレーシア (OD) | クアラルンプール |
ネパール航空 (RA) | カトマンズ |
エア・インディア (AI)(SA) | デリー |
スリランカ航空 (UL)(OW) | コロンボ |
フィンエアー (AY)(OW) | ヘルシンキ |
イベリア航空 (IB)(OW) | マドリード(2024年10月27日より運航再開予定) |
エミレーツ航空 (EK) | ドバイ |
カタール航空 (QR)(OW) | ドーハ |
アメリカン航空 (AA)(OW) | ダラス/フォートワース |
ハワイアン航空 (HA) | ホノルル |
カンタス航空 (QF)(OW) | メルボルン、ブリスベン |
フィジー・エアウェイズ (FJ)(OW) | ナンディ |
エア タヒチ ヌイ (TN) | パペーテ(季節運航) |
第3ターミナル
航空会社 | 就航地 |
---|---|
ジェットスター・ジャパン (GK)★ | 上海/浦東、台北/桃園、マニラ |
スプリング・ジャパン (IJ)★ | 北京/首都、上海/浦東、天津、ハルビン、寧波、大連 |
チェジュ航空 (7C)★ | ソウル/仁川、釜山 |
エアロK (RF)★ | ソウル/仁川、清州 |
春秋航空 (9C)★ | 上海/浦東、石家荘 |
長竜航空 (GJ) | 温州 |
エアアジア・フィリピン (Z2)★ | マニラ |
ジェットスター航空 (JQ)★ | ケアンズ、ブリスベン |
国内線
各路線ともに国際線との乗継を考慮して午前-午後成田着と夕方-夜間成田発を中心に運航されている。日本航空や全日本空輸では国際線の間合い運用として、国際線用の機材が充当される便も多く、また多くの便において外国航空会社とのコードシェアを行っている。国内線は2012年夏以降、ジェットスター・ジャパンをはじめとするLCCの就航により大幅に拡大した。しかし、COVID-19の影響に伴う国際線乗継需要低迷により、日本航空や全日本空輸が運航する国内線は一部の便が運休となっている。
第1ターミナル
航空会社 | 就航地 |
---|---|
全日本空輸 (NH)(SA) | 札幌/新千歳、名古屋/中部、大阪/伊丹 |
Peach Aviation (MM)★ | (北海道)札幌/新千歳 (近畿)大阪/関西 (九州)福岡、大分(季節運航) (薩南・沖縄)奄美、沖縄/那覇、石垣 |
第2ターミナル
航空会社 | 就航地 |
---|---|
日本航空 (JL)(OW) | 名古屋/中部、大阪/伊丹 |
第3ターミナル
航空会社 | 就航地 |
---|---|
ジェットスター・ジャパン (GK)★ | (北海道)旭川、札幌/新千歳 (近畿)大阪/関西 (四国)高松、松山、高知 (九州)福岡、長崎、大分、熊本、宮崎、鹿児島 (沖縄)沖縄/那覇、宮古/下地島(季節運航) |
スプリング・ジャパン (IJ)★ | 札幌/新千歳、広島 |
貨物便
2014年時点で、貨物定期便の発着便数は、成田国際空港を本拠地として使用している日本貨物航空、続いてフェデックス、全日本空輸、ユナイテッド・パーセル・サービスが上位を占めている。
- 太字は同空港をハブ空港にしている航空会社。
- ( )内の記号は、最初が航空会社の2レターコード(国際線)、2つ目が航空連合(アライアンス)。
- 2つ目の( )がない航空会社はアライアンスに加盟していない航空会社となっている。
- 下記の記号は右記のとおり。(ST):スカイチーム・カーゴ
- すでにアライアンスへの加盟手続きを行った航空会社については加盟予定と記述。
航空会社 | 就航地 |
---|---|
日本貨物航空 (KZ) | (東アジア)上海/浦東、香港、台北/桃園 (東南アジア)シンガポール、バンコク/スワンナプーム (北米)アンカレッジ、ロサンゼルス、シカゴ/オヘア、ニューヨーク/JFK、サンフランシスコ、ダラス/フォートワース (ヨーロッパ) アムステルダム、ミラノ/マルペンサ |
全日本空輸 (NH) | (東アジア)ソウル/仁川、北京/首都、上海/浦東、大連、青島、厦門、広州、香港、台北/桃園 (東南アジア)ホーチミン、ハノイ、マニラ、バンコク/スワンナプーム、シンガポール (北米)シカゴ/オヘア、ロサンゼルス |
日本航空 (JL) | 名古屋/中部、ソウル/仁川、上海/浦東、天津、大連、台北/桃園、香港 |
スプリング・ジャパン (IJ) | 札幌/新千歳、北九州、沖縄/那覇 |
大韓航空カーゴ (KE)(ST) | ソウル/仁川、ロサンゼルス |
アシアナ航空カーゴ (OZ) | ソウル/仁川 |
チェジュ航空 (7C) | ソウル/仁川 |
エア・インチョン (KJ) | ソウル/仁川 |
チャイナエアライン・カーゴ (CI)(ST) | 台北/桃園、ロサンゼルス |
中国国際貨運航空 (CA) | 上海/浦東 |
中国貨運航空 (CK)(ST) | 上海/浦東 |
中国郵政航空 (CF) | 上海/浦東、広州、鄭州、石家荘 |
順豊航空 (O3) | 西安 |
(I9) | 威海 |
(GI) | 煙台 |
キャセイパシフィック航空カーゴ (CX) | 香港、台北/桃園 |
エア・ホンコン (LD) | 香港 |
シルクウェイウエスト航空 (7L) | バクー |
ルフトハンザ・カーゴ (LH) | ソウル/仁川、フランクフルト |
アエロロジック (3S) | (東アジア)上海/浦東、香港 (北米)シンシナティ (ヨーロッパ)ライプツィヒ |
エールフランス・カーゴ (AF)(ST) | パリ/CDG |
カーゴルックス航空 (CV) | ルクセンブルク、香港 |
カーゴルックス・イタリア (C8) | ミラノ/マルペンサ、香港 |
フェデックス (FX) | (日本)大阪/関西 (東アジア)ソウル/仁川、上海/浦東、広州、深圳、香港、台北/桃園 (東南アジア)シンガポール (北米)アンカレッジ、メンフィス、オークランド (ヨーロッパ)パリ/CDG |
ポーラーエアカーゴ (PO) | (日本)名古屋/中部 (東アジア)ソウル/仁川、上海/浦東、深圳、台北/桃園 (北米)シンシナティ、ロサンゼルス (ヨーロッパ)ライプツィヒ |
ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム、モバイル、電話、Android、iOS、Apple、携帯電話、Samsung、iPhone、Xiomi、Xiaomi、Redmi、Honor、Oppo、Nokia、Sonya、MI、PC、ウェブ、コンピューター