自衛隊(じえいたい、英: Japan Self-Defense Forces、略称: JSDF)は、日本の保有する実力組織であり、国際法上は軍隊として取り扱われる。
自衛隊 Japan Self-Defense Forces | |
---|---|
日本国旗 | |
創設 | 1954年(昭和29年)7月1日 |
派生組織 | 陸上自衛隊 海上自衛隊 航空自衛隊 |
本部 | 東京新宿区市谷本村町5-1(防衛省) |
指揮官 | |
内閣総理大臣 | 岸田文雄(第101代) |
防衛大臣 | 木原稔(第25代) |
統合幕僚長 | 吉田圭秀(第7代) |
総人員 | |
徴兵制度 | 無し |
現総人員 | 22万7843人
|
予備役 | 4万60人
|
財政 | |
予算 | 7兆9496億円 (令和6年度予算) 566億米ドル (MER)世界9位(2024年) |
軍費/GDP | 1.33%(2023年10~12月期) 1.1%(2022年 SIPRI統計) |
産業 | |
国内供給者 | リスト
|
関連項目 | |
歴史 | 自衛隊の歴史
|
陸・海・空の自衛隊階級 陸・海・空の自衛隊階級章 |
事実上の軍種としては陸上自衛隊(陸自)、海上自衛隊(海自)、航空自衛隊(空自)の3つがある。最高指揮官である内閣総理大臣及び隊務統括を担う防衛大臣による文民統制(シビリアン・コントロール)の下、防衛省によって管理される。
第二次世界大戦に敗れた日本の降伏を受けて大日本帝国陸軍と大日本帝国海軍が解体された後、1954年(昭和29年)7月1日に設立された。
自衛官の定数は2022年度(令和4年度)末時点で24万7154人であるが、実際に奉職している人数の比率を示す充足率は92%と、人員不足が常態化している。
イギリスの有力シンクタンクである国際戦略研究所(IISS)の年次報告書「ミリタリー・バランス」では、2020年の日本の軍事費は世界第8位に位置付けられている。
概要
日本国憲法第9条の下、専守防衛に基づき、国家安全保障戦略(旧:国防の基本方針)および国家防衛戦略(旧:防衛計画の大綱)の規定により、「国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛すること」を基本理念とする(自衛隊法第3条第1項)。
自衛隊法(昭和29年法律第165号)
(自衛隊の任務)
第三条 自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。
2 自衛隊は、前項に規定するもののほか、同項の主たる任務の遂行に支障を生じない限度において、かつ、武力による威嚇又は武力の行使に当たらない範囲において、次に掲げる活動であつて、別に法律で定めるところにより自衛隊が実施することとされるものを行うことを任務とする。
一 我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態に対応して行う我が国の平和及び安全の確保に資する活動
二 国際連合を中心とした国際平和のための取組への寄与その他の国際協力の推進を通じて我が国を含む国際社会の平和及び安全の維持に資する活動
3 陸上自衛隊は主として陸において、海上自衛隊は主として海において、航空自衛隊は主として空においてそれぞれ行動することを任務とする。
内閣総理大臣が内閣を代表して最高指揮監督権を有し、防衛大臣が隊務を統括する。陸、海、空の三自衛隊を一体的に運用するための統括組織として統合幕僚監部が設置され、防衛大臣は統合幕僚長を通じて、陸海空自衛隊に命令を発する。
自衛隊法上の「自衛隊」とは、自衛隊員として含まれない「防衛大臣、防衛副大臣、防衛大臣政務官、防衛大臣補佐官、防衛大臣政策参与、及び防衛大臣秘書官」なども含めた防衛省の「事務次官並びに防衛省の内部部局、防衛大学校、防衛医科大学校、防衛会議、統合幕僚監部、情報本部、防衛監察本部、地方防衛局、防衛装備庁、その他の機関並びに陸上自衛隊、海上自衛隊及び航空自衛隊を含むもの」(自衛隊法第2条第1項)とされ、これは「防衛省」とほぼ同一の組織に相当する。一般的には国の行政機関という面から見た場合は「防衛省」、部隊行動を行う実力組織としての面から見た場合は「自衛隊」として区別されて用いられることが多い。
日本国憲法第9条は、「国際紛争を解決する手段としての、国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使の放棄」と「陸海空軍その他の戦力の不保持」、ならびに「交戦権の否認」を規定しているが、政府見解によれば憲法は自衛権の放棄を規定したものではなく、その自衛権の裏付けとなる自衛のための必要最小限度の実力は憲法第9条第2項にいう「戦力」には該当しない。ゆえに、日本を防衛するための必要最小限度の実力を行使することは当然に認められており、これは交戦権の行使とは別の観念であるという立場に立っている。こういった憲法上の制約を課せられている自衛隊は、通常の観念で考えられる軍隊とは異なるものであるが、他方、自衛隊は国際法上は軍隊として取り扱われており、自衛官は軍隊の構成員に該当するものとされている。
国防の目的は、直接及び間接の侵略を未然に防止し、万一侵略が行われるときはこれを排除し、もって民主主義を基調とする我が国の独立と平和を守ることにある。この目的を達成するための基本方針を次のとおり定める。
- 国際連合の活動を支持し、国際間の協調をはかり、世界平和の実現を期する。
- 民生を安定し、愛国心を高揚し、国家の安全を保障するに必要な基盤を確立する。
- 国力国情に応じ自衛のため必要な限度において 効率的な防衛力を漸進的に整備する。
- 外部からの侵略に対しては、将来国際連合が有効にこれを阻止する機能を果たし得るに至るまでは、米国との安全保障体制を基調としてこれに対処する。 — 国防の基本方針 - 昭和32年5月20日閣議決定(第1次岸内閣:岸信介首相)
2013年(平成25年)12月17日、「国防の基本方針」に代わるものとして「国家安全保障戦略」 が策定された。
自衛隊の公式な英称は「Japan Self-Defense Forces」であるが、日本国外において陸海空の各自衛隊は日本の実質的な国軍(Japanese military force あるいは Japanese armed force)として認知されており、陸上自衛隊は Japanese Army(「日本陸軍」の意)、海上自衛隊は Japanese Navy(「日本海軍」の意)、航空自衛隊は Japanese Air Force(「日本空軍」の意)に相当する語で表現されることがある。)なお、英語で"Right of self-defense"の語は国際法上「自衛権」を意味し、"Self-Defense Forces"は「自衛権を行使するための軍隊」と解釈できる。(国際連合憲章第51条の英文も参照。)
歴史
前史
保安庁以前の陸上自衛隊の前史
連合国軍占領下の日本に駐留していたアメリカ軍(米軍)は1950年(昭和25年)6月25日の朝鮮戦争勃発後、国連軍の中核部隊として朝鮮半島に出動させることとなった。そのため、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)を率いるダグラス・マッカーサー元帥は同年7月8日、吉田茂首相に「日本の警察力増強に関する書簡」を送り、日本政府に対して治安維持の強化を求めた。
日本政府に対し、7万5000名の国家警察予備隊の創設と、海上保安庁定員8000名増加に必要な措置をとることを許可する — 警察力増強に関するマッカーサー書簡
これに対して日本政府は国家地方警察(3万人)と自治体警察(9万5000人)の枠外で、政府に直属した警察予備隊(定員7万5000名)の新設を決定した。8月10日、日本政府はGHQの指令に基づくポツダム政令「警察予備隊の設置に関する政令」を公布し、警察予備隊が組織された。1952年(昭和27年)8月1日、保安庁の新設に伴い同年10月15日、警察予備隊は保安隊(定員11万人)に改組された。
保安庁以前の海上自衛隊の前史
1945年(昭和20年)の太平洋戦争敗戦に伴い旧海軍は武装解除されたが、戦争中に米軍が飢餓作戦で日本近海に敷設した機雷の掃海は引き続き実施することとなった。9月18日、組織的な掃海活動のために海軍省軍務局掃海部を設置して艦船348隻、1万名規模での組織的な掃海活動を始めた。海軍省、第二復員省、復員庁、海上保安庁などの所掌官庁が変遷しながら1950年には海上保安庁航路啓開本部が設置され、1952年(昭和27年)6月末には艦船79隻、1416名規模で日本近海航路の掃海活動が行われていた。
1951年(昭和26年)9月8日、サンフランシスコ平和条約、日米安全保障条約に調印した吉田茂首相は、解任されたマッカーサーから連合国軍最高司令官を引き継いでいたマシュー・リッジウェイ大将との会談において、フリゲート艦18隻、上陸支援艇50隻などの貸与が提案され、吉田茂はこれを承諾した。これを受けて、岡崎勝男官房長官は元海軍省軍務部長山本善雄に対して、その受け入れと運用体制の確立のための諸準備を依頼した。これによって幕僚監部の組織、貸与艦艇を中心とした部隊編成を行うY委員会が組織された。
1952年(昭和27年)4月26日、海上保安庁内に海上警備隊(定員6000名)が創設され、8月1日の保安庁新設に伴い警備隊に移管、再編された。この際、海上保安庁航路啓開本部は保安庁に移管された。
保安庁
サンフランシスコ平和条約の発効と日米安全保障条約の発効に伴い、駐留軍の漸減と日本の防衛のための即応警備力増強が求められた。そのため、1952年(昭和27年)8月1日、警察予備隊を引き継ぐ保安隊と、海上警備隊を引き継ぐ警備隊を統合して運用する保安庁が設置された。保安庁の任務は治安維持を目的とした保安隊及び警備隊の基本的な性格は同じであったが、これまで明文化されていなかった行動や権限に関して保安庁法において明文化されることとなった。この、保安庁法において部隊行動についての詳細の規定と武器の保有及び使用についての広い権限と、文民統制(シビリアン・コントロール)の原則が規定された。保安庁法において、保安庁の任務は「わが国の平和と秩序を維持し、人命、財産を保護するため特別の必要がある場合に行動する」とされ、具体的な行動として、「命令出動」「要請出動」「海上における警備行動」「災害派遣」等が規定された。
運用に関しては、旧陸海軍の不協和に対する反省から、保安隊と警備隊は保安庁による陸海の一元的な統合運営が図られることになった。また、教育機関についても、1953年(昭和28年)には幹部教育機関として、保安大学校を開校し、上級幹部の教育機関として保安研修所を設置し、陸海の幹部教育をいずれも統合して行うこととした。研究開発においても、技術研究所を設置し、陸海一体の基盤を整備した。
装備品の充足は充分ではなく、保安隊においてはGHQを通じ在日米軍から火砲、特車(戦車)などの貸与の遅延やMSA協定の折衝の難航などによって、装備の充足に支障が出ていた。警備隊では当初、海上警備隊から引継いだ掃海船43隻(8900トン)が主体であったが、1952年(昭和27年)12月の日米船舶貸借協定が締結されるとフリゲート、上陸支援艇などが引き渡され、更に新規建造船などによって127隻(3万5000トン)となった。しかし、広大な日本の領海の警備力としては充分なものではなく、1953年(昭和28年)には116億2300万円の船舶建造予算が計上され国産の船舶によって逐次充足された。
保安隊と警備隊双方で人員の充足でも問題を抱えており、教育機関、施設の設置と部隊訓練、演習が実施されるようになった。保安隊においては1952年の発足当時、増員分と任期満了者で3万5000人の充員を必要とした。しかし、保安隊においては当初装備品の充足が足りず、教育訓練に過度な制約を受けた。1952年度末には装備が徐々に充足されるようになり、翌1953年8月には大隊以下の部隊訓練を完了した。この年には富士山麓での戦闘展示演習などが行われた。警備隊においては急速な装備の充実に伴い、発足時の定員7590名から翌1953年(昭和28年)には1万323人へと増員された。米国より貸与されたフリゲートによって第一船隊群を編成し、戦後初めての日本一周巡航を行うなどの部隊訓練を行った。また、術科学校を設置し、術科教育のための教科書、教範類の整備を行った。
航空自衛隊の創設への経緯
旧日本軍の航空戦力は(陸軍航空隊)と海軍航空隊に分かれており、独立した空軍は保有していなかった。戦後においても、航空自衛隊は陸上自衛隊・海上自衛隊のように前身組織(保安隊・警備隊)を持たず、防衛庁・自衛隊の発足に伴いアメリカ軍の協力によって新設されている。
警察予備隊末期から航空部隊の創設は考慮されていたが、経済技術上の制約から1952年(昭和27年)の保安隊航空学校(静岡県の浜松基地内)設置、1953年(昭和28年)の警備隊館山航空隊(千葉県)の編成を待つことになる。1953年(昭和28年)11月、保安庁内で航空部隊創設のための研究が開始された。翌1954年(昭和29年)2月1日、航空準備室が設置されることとなり、航空部隊の編制、航空基地の展開、米軍管理飛行場の移管、要員確保などの計画がなされた。6月1日、臨時松島派遣隊を編成し、在日米空軍の下で編成された訓練部隊によって整備操縦訓練が行われた。
防衛庁・自衛隊の成立(1950 - 60年代)
朝鮮戦争の休戦後も、南侵した朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とそれを支援したソビエト連邦(ソ連)、中華人民共和国(中国)と日米など西側諸国の冷戦は続いた。日本は国力の回復と平和条約締結による国際的地位の向上、駐留米軍の漸減につれて、より一層の防衛力の整備が必要となった。1954年(昭和29年)に成立したMSA協定で日本は自らの防衛に責任を果たすよう義務付けられ、防衛力の増強が求められた。同年6月2日、防衛2法(防衛庁設置法、自衛隊法)が成立した。この成立に際して、参議院で自衛隊海外派兵禁止決議が採択された。同年7月1日、防衛2法が施行され、保安庁は防衛庁に改組された。同日、保安隊は陸上自衛隊となり、警備隊は海上自衛隊に改組されたほか、新たに空軍に相当する航空自衛隊が新設され、自衛隊が成立した。
保安庁においては任務は警察予備隊、海上警備隊の任務を引継いだものであったが、自衛隊法において主任務は「直接及び間接の侵略に対してわが国を防衛することとし、必要に応じて公共の秩序の維持に当たる」とした。この為の行動として、「防衛出動」「治安出動」「海上における警備行動」「災害派遣」「領空侵犯に対する措置」などが定められ防衛出動や領空侵犯に対する措置など防衛を主眼とした任務の性格が付与された。
自衛隊は創設当初以下のような編成であった。
陸上自衛隊:定員18万人、方面隊1、管区隊6、補給処8、諸学校13、病院2
海上自衛隊:定員1万5808人、自衛艦隊1、地方隊5、諸学校1、病院1
航空自衛隊:定員6738人、航空教育隊1、補給処1、諸学校4、直轄部隊2
航空自衛隊の新設に際して、浜松の保安隊航空学校が航空自衛隊に移管された。自衛隊内での航空機の配属については、それまで保安隊ではL機、ヘリコプター、警備隊ではT-34 メンター、ヘリコプターを保有していたが、基本的には陸上自衛隊にはヘリコプターを、海上自衛隊には対潜哨戒機、ヘリコプターを装備させることとし、それ以外の航空関係業務は原則的に航空自衛隊が行うこととした。
装備については、防衛力整備計画において1962年(昭和37年)、陸上自衛隊は定員18万人の充足、海上自衛隊は艦艇(12万4000トン)、航空自衛隊は航空機1300機を整備することを目標とした。
自衛隊は設置と共に人員的な増強だけでなく、機構的にも整備され、内閣に国防会議が、防衛庁内に統合幕僚会議が設置された。また、付属機関として建設本部と調達実施本部を設置、保安大学校を防衛大学校、保安研修所を防衛研修所(後の防衛研究所)と改組した。加えて、諸外国における予備役に相当する予備自衛官制度(定員1万5000人)が整備された。
1954年(昭和29年)10月25日、陸上自衛隊航空学校機L-21が浜名湖に墜落、2名が死亡。自衛隊機初の事故が起こった。
1959年(昭和34年)9月、伊勢湾台風の災害救難に出動。
1960年ごろまでに、自衛隊としての編成と基礎的な機能の整備が行われた。
陸上自衛隊(1960年):人員18万3480人、方面隊5、管区隊6、混成団4、補給処5、学校14、病院4、直轄部隊19
海上自衛隊(1960年):人員2万7667人、自衛艦隊、地方隊5、練習隊群、掃海隊群、学校4、病院4、直轄部隊7、保有艦艇187隻9万1208トン
航空自衛隊(1960年):人員3万3225人、航空総隊、航空方面隊2、航空団4、航空教育隊2、補給処2、学校5、直轄部隊10、F-86戦闘機427機を中心に航空機1150機
これら以外にも自衛隊全体として自衛隊中央病院、各幹部学校の設置などの組織整備が行われた。
自衛隊創設当時、陸軍士官学校、海軍兵学校などの旧陸海軍の軍学校を卒業した旧陸海軍正規将校が幹部自衛官として、陸海空三自衛隊の幕僚機関の主流を占めていたほか、実働部隊の指揮中枢において直接22万人の自衛隊員を動かす立場にあった。これにより、創設当時の自衛隊は旧陸海軍正規将校の強い影響下で戦力を整備し、隊風を育ててきた。旧陸海軍で大佐や中佐だった幹部自衛官の多くが定年退官し、防衛大学校出身の幹部自衛官が年々増加していた1967年(昭和42年)においても、陸上自衛隊には2288人、海上自衛隊には1563人、航空自衛隊には1063人の、計4914人の旧陸海軍正規将校が幹部自衛官として務めており、自衛隊幹部現員の15.3%を占めていた。また、1969年(昭和44年)当時の自衛隊幹部における旧陸海軍出身者の割合は、将クラスで80%、1佐で78%、2佐で66%、3佐で21%であった。
- 61式戦車
- おやしお (潜水艦・初代)
- F-86D (航空機)
1970年代
この節の加筆が望まれています。 |
1970年(昭和45年)11月25日、三島由紀夫、森田必勝ほかで成る民兵組織「楯の会」のメンバー5名が市ヶ谷駐屯地内の東部方面総監部を訪問し、益田兼利総監を拘束。幕僚らを斬りつけた後、三島がバルコニーで自衛官に決起の檄を訴え、その後総監室で三島と森田が割腹自決に至ったクーデター未遂事件が発生っした(三島事件)。
1971年(昭和46年)7月30日、岩手県雫石町上空で自衛隊練習機と全日空の旅客機が衝突、自衛隊機の乗員は脱出に成功したが全日空機の乗員乗客162人全員が死亡しt(全日空機雫石衝突事故)。
1976年(昭和51年)9月6日、ソ連防空軍の現役将校であるヴィクトル・ベレンコ中尉が、MiG-25(ミグ25)迎撃戦闘機で北海道函館市の函館空港に強行着陸し、アメリカ合衆国への亡命を求めた(ベレンコ中尉亡命事件)。
- 演説する三島由紀夫
- ベレンコ中尉が亡命に使ったMiG-25P(同型機)
1980年代
この節の加筆が望まれています。 |
1990年代
自衛隊は創設以来、ソビエト連邦軍(ソ連軍)の日本侵攻を想定してアメリカ軍と共同作戦を行うことを国防の大前提としていた。自衛隊の統合幕僚会議議長と在日米軍司令官が署名し、防衛庁防衛局長を通じて防衛庁長官に報告されていた「共同統合作戦計画」のシナリオによれば、ソ連軍の北海道上陸侵攻に際して、まずは自衛隊が独力で対処し、1週間から2ヶ月かけて数次に分かれて到着するアメリカ軍の来援を待つことになっていた。共同統合作戦計画は毎年改定されていたほか、陸海空自衛隊は共同統合作戦計画を前提として、毎年度の日本防衛計画である「年度防衛警備計画(年防)」を策定していた。
自衛隊の海外派遣
自衛隊は国際社会では事実上の日本の軍隊と認識されつつも、当初より憲法第9条の制約下、専守防衛のための「必要最小限度の実力」として整備が進められた。海外展開能力は、それを超えるものとして忌避され、1954年(昭和29年)6月2日には、参議院で「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」がなされた。1958年(昭和33年)には、国際連合レバノン監視団に停戦監視要員として自衛官10人の派遣を要請されるも、自衛隊法や防衛庁設置法に抵触する恐れがあるとして要請を拒否している。
しかし、冷戦の終結や国民意識の変化、1991年(平成3年)にはペルシャ湾への掃海部隊の派遣の成功によりPKO協力法が成立、国際緊急援助隊の派遣に関する法律が改正された。以後、1992年カンボジア、1993年のモザンビーク、1996年のゴラン高原などで、武力紛争に巻き込まれる恐れが少ない地域を中心に、救難、輸送、土木工事などの後方支援(兵站)や司令部要員などへ非武装ないし軽武装の要員・部隊を派遣するようになった。
- ゴラン高原への派遣( - 2013年)
- 南スーダンへの派遣(2011年 - )
2000年代
2001年(平成13年)9月11日のアメリカ同時多発テロ事件を機に、「日米安保のグローバル化」が進行し、自衛隊とアメリカ軍による日米防衛協力の領域は日本周辺や極東地域から、中東やインド洋へと拡大し、本土防衛を主任務としてきた自衛隊の任務の変容も進んでいる。イラク戦争においては、アメリカ軍主導の多国籍軍の一翼を担う形で、イラク南部のサマーワに人道復興支援活動を目的として、陸上自衛隊の部隊が派遣された。
2006年(平成18年)3月27日、統合幕僚会議及び同事務局を廃止し、統合幕僚監部が新設された。
2007年(平成19年)1月9日、防衛庁は防衛省に昇格した。
2015年(平成27年)6月10日、「防衛省設置法等の一部を改正する法律(平成27年法律第39号)」が可決・成立し、背広組(防衛官僚)と呼ばれる官房長、局長が行ってきた大臣補佐は、制服組(自衛官)と呼ばれる統合幕僚長、陸上幕僚長、海上幕僚長、航空幕僚長による大臣補佐と相まって行われることが明記され、背広組と制服組が対等の立場であることが明確にされた。同年10月1日の改正防衛省設置法施行により、内局の運用企画局が廃止され、部隊運用に関する事務が統合幕僚監部へ一本化されたほか、技術研究本部及び装備施設本部が廃止され、新たに防衛装備庁が防衛省の外局として設置された。
組織
職名 | 名前 | 階級等 | 写真 |
---|---|---|---|
内閣総理大臣 | 岸田文雄 | ||
防衛省 | |||
防衛大臣 | 木原稔 | ||
防衛副大臣 | 鬼木誠 | ||
防衛大臣政策参与 (3人以内) | 尾上定正 | 元空将 | |
番匠幸一郎 | 元陸将 | ||
吉田正紀 | 元海将 | ||
防衛大臣補佐官 | 高見康裕 | ||
防衛大臣政務官 | 三宅伸吾 | ||
松本尚 | |||
防衛事務次官 | 増田和夫 | ||
防衛審議官 | 中嶋浩一郎 | ||
統合幕僚監部 | |||
統合幕僚長 | 吉田圭秀 | 陸将 | |
陸上幕僚監部 | |||
陸上幕僚長 | 森下泰臣 | 陸将 | |
海上幕僚監部 | |||
海上幕僚長 | 齋藤聡 | 海将 | |
航空幕僚監部 | |||
航空幕僚長 | 内倉浩昭 | 空将 | |
情報本部 | |||
情報本部長 | 尾崎義典 | 空将 |
|
防衛監察本部 | |||
防衛監察監 | 小川新二 | ||
防衛装備庁 | |||
防衛装備庁長官 | 石川武 |
自衛隊は文民統制(シビリアン・コントロール)の原則の下、文民で構成される内閣、立法府である国会の統制下に置かれる。
内閣総理大臣は内閣を代表して自衛隊の最高指揮監督権を有し、防衛省の長である防衛大臣が自衛隊の隊務を統括する。また、内閣には関係閣僚等で構成される国家安全保障会議が置かれ、防衛に関する重要事項を審議する。自衛隊の防衛出動や治安出動等にあたっては事前又は事後の国会承認を要し、また国会は自衛隊に係る定員、予算、組織などの重要事項の議決を通じて自衛隊を統制する。
陸・海・空の各自衛隊は全て防衛大臣の直轄部隊から構成され、各自衛隊の隊務に係る防衛大臣の幕僚機関として陸上幕僚監部、海上幕僚監部及び航空幕僚監部が設置されている。更に各自衛隊を統合運用するための幕僚機関として統合幕僚監部が置かれ、自衛官の最上位者である統合幕僚長がこれを統括する。防衛大臣は各幕僚長を通じて各自衛隊に命令を発するが、部隊の運用に関しては全て統合幕僚長を通じて行うものとされている。各幕僚長は「最高の専門的助言者」として防衛大臣を補佐し(自衛隊法第9条第2項)、部隊等に対する防衛大臣の命令を執行する。
防衛省の事務方の長である防衛事務次官は待遇等の面では統合幕僚長と同格であるが、「その省の長である大臣を助け、省務を整理し、各部局及び機関の事務を監督する」(国家行政組織法第18条2項)ものとされ、防衛省・自衛隊の機関全般にわたって監督権限を有する。
その他、防衛省の所掌事務に関する基本的方針について審議する機関として防衛会議が設置されている。構成員は防衛大臣、防衛副大臣、防衛大臣政務官、防衛大臣補佐官、防衛大臣政策参与、事務次官、防衛審議官、内局の官房長と各局長、統合・陸・海・空幕僚長、情報本部長、防衛装備庁長官。
日本国憲法第76条2項で特別裁判所の設置が禁止されているため、軍法会議(軍事裁判所・軍事法廷)は設置されていない。従って、軍事刑務所の類は無く、被疑者は一般同様検察庁へ送致される。微罪は別にして、禁錮以上の罪で立件される等で重大な反社会的行為に関与したと判断された場合は懲戒免職されることがあり、また懲戒免職されなくても禁錮以上の罪が確定すれば失職する。諸外国の憲兵に相当する部隊は陸・海・空の各自衛隊に警務隊として組織されている。
防衛省 | |||
---|---|---|---|
特別の機関 | 内部部局 | 施設等機関 | |
防衛会議 | 幕僚監部 | 大臣官房 | 防衛大学校 |
防衛監察本部 | 統合幕僚監部 | 防衛政策局 | 防衛医科大学校 |
情報本部 | 陸上幕僚監部 | 防衛研究所 | |
外国軍用品審判所 | 海上幕僚監部 | ||
航空幕僚監部 | |||
部隊及び機関 | 共同の機関 | 外局 | 審議会等 |
陸上自衛隊 | 自衛隊体育学校 | 防衛装備庁 | |
海上自衛隊 | 自衛隊中央病院 | ||
航空自衛隊 | 自衛隊地区病院 | 地方支分部局 | |
自衛隊地方協力本部 | 地方防衛局 | ||
共同の部隊 | |||
自衛隊情報保全隊 | |||
自衛隊サイバー防衛隊 |
- 防衛駐在官:在外公館において軍事や安全保障に関する情報収集や交流などを任務とする自衛官。外交官(外務事務官)として外務省に出向しており、他国の駐在武官同様にアグレマンが必要である。2023年(令和5年)1月1日時点では、72名(陸33名・海20名・空19名)が49大使館2政府代表部に派遣されている。
規模と予算
機関 | 法定定員(人) | 現員(人) | 充足率(%) | |||
---|---|---|---|---|---|---|
陸上自衛官 | 海上自衛官 | 航空自衛官 | ||||
陸上自衛隊 | 150,245 | 134,011 | 89.2 | |||
海上自衛隊 | 45,414 | 42,375 | 93.3 | |||
航空自衛隊 | 46,976 | 43,025 | 91.6 | |||
共同の部隊 | 4,519 | 1,732 | 4,100 | 90.7 | ||
統合幕僚監部 | 394 | |||||
情報本部 | 1,936 | |||||
防衛省内部部局 | 50 | |||||
防衛装備庁 | 407 | |||||
合計 | 247,154 | 223,511 | 90.4 |
規模
定員
各自衛隊と機関、自衛官の定員は防衛省設置法第6条で規定されている。定員は、陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊で合わせて24万7154人、統合幕僚監部などの各自衛隊の自衛官の共同で運営される組織で4519人である。自衛隊では、戦力維持のために若年定年退職制度を導入しており、多くの自衛官は54~56歳で定年退職する。
2024年3月31日時点での総人員は22万3511人(うち女性1万9961 人)であり、法律上の定員に対する充足率は全体で約90%程度となっており定員割れが続いている。
令和5年度まで自衛官の定数の範囲内において予算上の人件・糧食費等で定められた事実上の上限人数である実員があったが。防衛省は令和6年度の予算から実員の枠組みを廃止した。
予備自衛官制度
定員とは他に、諸外国における予備役にあたる予備自衛官制度がある。予備自衛官制度は常に維持する常備自衛官の人数を抑制し、必要時のみ増員することを目的とした制度である。身分は非常勤の特別職国家公務員で、防衛省職員の定員外とされている。各地方協力本部が管理している。予備自衛官は、任務の内容や招集の義務に応じて即応予備自衛官、予備自衛官、予備自衛官補の3種を定めている。招集を受けて応じなければ登録は抹消される。
機関 | 即応予備自衛官 | 予備自衛官 | 予備自衛官補 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
法律上の人数 | 現員 | 充足率(%) | 法律上の人数 | 現員 | 充足率(%) | 法律上の人数 | 現員 | 充足率(%) | |
陸上自衛隊 | 7,981 | 4,120 | 51.6 | 46,000 | 33,411 | 69.8 | 4,600 | 2,529 | 54.7 |
海上自衛隊 | 1,100 | 21 | |||||||
航空自衛隊 | 800 |
予算
項目 | 金額(円) | 割合(%) | |
---|---|---|---|
人件・糧食費 | 7兆7249億 | 2兆2290億 | 28.0 |
維持費など | 2兆4491億 | 30.8 | |
装備品等購入費 | 1兆7262億 | 21.7 | |
基地対策経費 | 4995億 | 6.3 | |
施設整備経費 | 3044億 | 3.8 | |
研究開発費 | 2606億 | 3.3 | |
その他 | 2562億 | 3.2 | |
米軍再編等 | 2246億 | 2.8 | |
計 | 7兆9496億円 | 100 |
防衛力整備計画などにおける2027年度までの防衛費のGDP比2%に向け、令和6年度では防衛関係予算は7兆9496億円(GDP比1.29%)となった。そのうち人件・糧食費が2兆2290億円(28.0%)、教育訓練・装備の維持費が2兆491億円(30.8%)、新規装備品の購入費が1兆7262億円(21.7%)などである。また、防衛省・自衛隊関係とは別枠として在日米軍再編等の予算として2246億円(2.8%)が計上されている。
諸外国との比較
兵力(2024) | 国防費(2024) | ||||
---|---|---|---|---|---|
国名 | 陸上(万人) | 海上(万トン) | 航空(機数) | 国防費(億米ドル) | 対GDP比率(%) |
日本 | 13 | 53 | 370 | 501.6 | 1.2 |
北朝鮮 | 110 | 10 | 550 | - | - |
中国 | 97 | 236 | 3240 | 2964.3 | 1.7 |
ロシア(全体) | 54 | 207 | 1450 | 1094.5 | 5.9 |
ロシア(極東) | 8 | 71 | 310 | - | - |
韓国 | 37 | 29 | 660 | 479.3 | 2.8 |
台湾 | 10 | 21 | 470 | 166.1 | 2.2 |
アメリカ(全体) | 62 | 675 | 3320 | 9160.1 | 3.4 |
在日米軍・第7艦隊 | 2 | 41 | 180 | - | - |
在韓米軍 | 2 | 0 | 80 | - | - |
フランス | 11 | 40 | 360 | 613.0 | 2.1 |
イタリア | 9 | 26 | 220 | 355.3 | 1.6 |
イギリス | 8 | 75 | 230 | 749.4 | 2.3 |
ドイツ | 6 | 20 | 240 | 668.3 | 1.5 |
インド | 124 | 50 | 840 | 835.7 | 2.4 |
イラン | 50 | 24 | 270 | 102.8 | 2.1 |
イスラエル | 13 | 2 | 350 | 275.0 | 5.3 |
オーストラリア | 3 | 20 | 149 | 323.4 | 1.9 |
自衛隊は約24万人の総兵力をもつが、そのうち陸上兵力を担う陸上自衛隊は約14万人、同盟国であるアメリカ軍は在日米軍と在韓米軍併せて4万人、アメリカ合衆国の同盟国である韓国は45万人である。他方で周辺国では、中国、北朝鮮が100万人以上、台湾が10万人、極東ロシア軍が8万人である。他の主要国においては、10万人程度であるのはNATO加盟国である欧州諸国である。
日本は周辺を海洋に囲まれた島国であり、海上兵力が重要である。そのため海上自衛隊の装備の拡充が進められ、総トン数でみると52万トンと主要国の中では5番目につけている。また、横須賀が米国第7艦隊(44万トン)の母港となっている。しかし、近年は中国の海洋進出が進んでおり、周辺海域に展開する海上兵力の総トン数においては大きく差がある。
航空兵力では、作戦機が370機程度であり、周辺国の中では機数として多いわけではないが、在日米軍等を合わせると550機程度となる。
国防費では、主要国の中では日本は1%程度の国防費を計上しており、絶対的には高い水準である一方で、NATOなどの軍需同盟を持つ欧州と比較すると米国以外に同盟国を持たず、また周辺国の国防費の水準からすると最低水準である。
また、自衛隊が保有する装備の維持・運用・管理などにおいて他の西側諸国と同じく日米安全保障条約による同盟国アメリカ合衆国に強く依存している装備も多く、実戦におけるノウハウ習得や幹部自衛官教育、新型装備に関する技術講習などでも在日米軍との協力関係が重要視されている。[要出典]
各組織の概況
陸上自衛隊
陸軍にあたる陸上自衛隊は日本に対する海外勢力による上陸作戦を防止し、上陸された場合にはこれに対処することを主な任務とする。普通科いわゆる歩兵を基軸として、戦車、装甲車、榴弾砲、対戦車ロケット弾、対戦車ミサイル、地対空ミサイル、地対艦ミサイル、ヘリコプターなどを保有する。
陸上自衛隊の部隊は、方面隊、陸上総隊その他の防衛大臣直轄部隊から構成され、その所掌事務に係る幕僚機関として陸上幕僚監部が設置されている。人員規模は三自衛隊の中で6割を占めるが、振り分けられる予算は令和5年度約1兆9000億円(28%)と、海自(25%)、空自(28%)と大差は無い。小銃をはじめ、戦闘車輌や一部の航空機は国産品を装備しているが、輸入やライセンス生産による装備品もある。遠隔操縦観測システム(FFOS)のような無人航空機の運用能力も持つが、指揮通信能力、統合作戦能力は整備途上にある。各方面隊が担当地域の防衛警備を担っている。また、島国という地理上、離島への武力侵攻に備えた水陸機動団も配備されている。また、2020年ごろから先島諸島などの島嶼で駐屯地の新設を行い、防衛力の増強を行っている。
特殊作戦群(SOG)
2004年に設立された陸上自衛隊の特殊部隊。
特別儀仗隊
国賓や他国の元首を迎えるための特別儀仗隊(第302保安警務中隊から編成)がある。第302保安警務中隊は特別儀仗にて要人を迎えるという任務の性質から入隊時にはルックスが重要視されており、いわゆるイケメンの陸上自衛官が担う。
海上自衛隊
海軍にあたる海上自衛隊は、海洋国家である日本の防衛力の中核を担っている。護衛艦、潜水艦、機雷戦艦艇、輸送艦、哨戒機、ヘリコプターなどを保有する。
海上からの侵略を阻止し、また艦船、航空機、潜水艦等の脅威を排除して、海上交通の安全を確保することを主な任務とする。年間を通じて、日本周辺海域の哨戒任務を行っており、国籍不明潜水艦や他国の艦艇、不審船、遭難信号などを探知した場合は、哨戒機をスクランブル発進させ、護衛艦が緊急出港し、対象目標を継続追尾する態勢に移行する。また、弾道ミサイルの監視、迎撃任務も負っている。
海上自衛隊の部隊は、自衛艦隊、地方隊、教育航空集団、練習艦隊その他の防衛大臣直轄部隊から構成され、その所掌事務に係る幕僚機関として海上幕僚監部が設置されている。定数は約4万5000であり、予算は約1兆6000億円。艦艇、潜水艦、航空機、各陸上基地を運用する。日本は海洋国家であり、通商貿易国家であることから、シーレーンの安全確保を重視し、太平洋戦争(大東亜戦争)の戦訓から 対潜水艦戦能力と対機雷戦能力に重点を置いている。保有するイージス艦の一部には(BMD)能力が付与されており、ミサイル防衛の中核を担う。いずも型護衛艦、ひゅうが型護衛艦やおおすみ型輸送艦は離島防衛や大規模災害対処のシーベースとしても活動できる。艦艇としては歴代最大の自衛艦いずも型護衛艦一番艦「いずも」が2015年(平成27年)3月に就役した。
特別警備隊(SBU)
2001年に設立された海上自衛隊の特殊部隊であり、自衛隊としては初の特殊部隊である。
航空自衛隊
空軍にあたる航空自衛隊は平時においては日本周辺の空域を警戒監視し、領空内に不法に侵入しようとする航空機に対して、戦闘機をスクランブル発進させて、対領空侵犯措置をとるほか、災害派遣、国際緊急援助隊業務等を行っている。また、有事においては、航空優勢の確保による防空、侵入してくる陸海戦力の航空阻止と近接航空支援を主な任務とする。
航空自衛隊の部隊は、航空総隊、航空支援集団、航空教育集団、航空開発実験集団その他の防衛大臣直轄部隊から構成され、その所掌事務に係る幕僚機関として航空幕僚監部が設置されている。定数は約4万7000人であり、予算は約1兆0800億円。アメリカ製の大型戦闘機F-15及びF-35A、同じくアメリカ製の多用途戦闘機F-16をベースとしたF-2戦闘機をはじめ、E-767早期警戒管制機や、KC-767空中給油機、パトリオットミサイル、バッジシステム、JADGEの導入、装備している。高度な救助能力を持つ航空救難団は災害派遣でも活動している。
共同の部隊及び施設
各自衛隊の共同の部隊として、自衛隊サイバー防衛隊及び自衛隊情報保全隊が設置されている。隊員は、陸・海・空の各自衛隊の混成であり、常設統合部隊として統合幕僚長の指揮下にある。また、共同の機関として自衛隊地方協力本部、自衛隊病院などが、防衛省の特別の機関として情報本部などが設置されている。
- 自衛隊サイバー防衛隊
- 自衛隊体育学校
- 自衛隊中央病院
防衛省の施設等機関
幹部自衛官や医官などの教育等を行う防衛大学校、防衛医科大学校および防衛研究所が防衛省の施設等機関として設置されている。
- 防衛大学校
- 防衛医科大学校
- 防衛研究所
活動
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2024年1月) |
自衛隊法上、自衛隊は国の防衛を主たる任務とし、必要に応じ公共の秩序の維持にあたるものとされている。この主たる任務に該当する自衛隊の活動が「防衛出動」であり、公共の秩序維持に関する活動として「治安出動」「災害派遣」等が位置づけられている。その他、主たる任務の遂行に支障を生じない限度において、別に法律で定める任務を実施するものとされており、具体的には重要影響事態法やPKO協力法に基づく海外派遣がこれに該当する。
防衛出動
自衛隊の防衛出動は自衛隊法第76条によって定められており、他国からの武力攻撃が発生した事態又は武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態、及び、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態に際して、内閣総理大臣が自衛隊の出動を命じるものである。出動にあたっては原則として事前の国会承認を要する。出動を命じられた部隊は、日本を防衛するため、必要な武力を行使することができる(自衛隊法第88条)。実際に武力の行使を行うか否かの判断は、自衛隊の最高指揮監督権を有する内閣総理大臣が行うものと解されている。これまでに防衛出動が命じられたことはない。[要出典]
災害派遣
自衛隊の災害派遣は自衛隊法第83条によって定められており、自然災害・人為的災害を問わず災害時に各都道府県知事などの要請によって防衛大臣又はその指定する者(方面総監、自衛艦隊司令官など)が部隊に出動を命令し、救援活動を行う。災害に際し、要請を待ついとまがない緊急事態と考えられる場合(震度5弱以上など)は要請を待たないで情報収集や救助のため部隊を派遣することができる。災害派遣には大規模災害派遣、原子力災害派遣が含まれる。災害派遣は地震、台風による集中豪雨(大雨)、三宅島や大島の火山噴火の際に実施されているほか、地下鉄サリン事件や日本航空123便墜落事故など消防のみでは対処が困難な事件・事故の際にも実施された。また、離島からの急患輸送や遭難者の捜索も災害派遣扱いとなる。
上記と異なる類型の災害派遣として、「近傍災害派遣」がある。近傍災害派遣は自衛隊法第83条第3項に定められており、防衛省施設の近傍において火災その他の災害が発生した場合、部隊長が必要に応じて部隊の派遣を行うことができる。
災害派遣の件数は毎年約800回前後で、2004年度(平成16年度)では急患輸送が年616回、次いで消火支援が102回(うち近傍災害派遣が92件)で、その他すべてをあわせ自衛隊全体で884回出動している。1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災においてはのべ約225万人が派遣され、2011年(平成23年)の東日本大震災では、3月19日 から同年5月10日 まで、50日間連続して10万人/日を超える規模の派遣を行うなどの災害派遣が行われた。
領空侵犯対応
領空侵犯に関しては、自衛隊法第84条により防衛大臣は他国の航空機が国際法などに違反して日本の領空に侵入した場合、もしくは領空侵犯の畏れがある場合にこれを阻止する措置を行うことができる。領空侵犯に対する措置としては、領空侵犯機を日本の空港に着陸させるか、日本の領空から退去させるために必要な無線による警告、誘導、武器による警告などの措置をとることができる。
スクランブルは冷戦期には最高で年1,000回近く行なわれていたが、冷戦後は比較的少なくなり、おおよそ年100回 - 200回程度となっている。飛行機は高速で移動するので、単純に領空侵犯が行なわれた時点でスクランブル発進するのではなく、防空識別圏(ADIZ:Air Defense Identification Zone)に入った時点で発進し、実際に領空侵犯が起きるのは年数回程度となる。2008年現在、領空侵犯機に対して警告射撃を行なったのは1987年に起きた沖縄本島上空におけるソ連機侵犯事案の1回のみである。スクランブルは、領空侵犯の恐れのある機に対する発進のほか、ハイジャックなど非常事態が起こった民間機の護衛、誘導などにも行われる。[要出典]
海上における警備行動
海上警備行動は自衛隊法第82条に定められており、海上における人命、財産、治安の維持のため特別の必要がある場合、防衛大臣が自衛隊に必要な行動をとるよう命じ、内閣総理大臣の承認を受ける。
海上警備行動は1999年(平成11年)3月23日から24日にかけて不審船(北朝鮮の工作船)が日本の領海内に侵入した事件(能登半島沖不審船事件)の際初めて発動され、この命令に基づき威嚇として護衛艦が計25回の射撃、対潜哨戒機P-3Cが計12発の対潜爆弾投下を実施した。また2004年(平成16年)11月10日に沖縄県先島諸島周辺で中国海軍の潜水艦が潜航状態で領海侵犯した事件(漢級原子力潜水艦領海侵犯事件)の際にも発動され、哨戒機P-3C、対潜ヘリSH-60J、護衛艦「ゆうだち」「くらま」による追跡が行われた。
1996年(平成8年)、国連海洋法条約の批准に際し、同年12月、自衛隊の部隊が同条約の定めるところにより、日本の領海及び内水で潜没航行する潜水艦に対して浮上・掲旗要求、退去要求を行うにあたり、あらかじめ閣議においてその基本方針と手順を決定しておき、個々の事案発生時に、改めて個別の閣議決定を経ることなく、内閣総理大臣の判断により、自衛隊の部隊が迅速に対処し得る旨の閣議決定(「我が国の領海及び内水で潜没航行する外国潜水艦への対処について」)がなされた。2004年(平成16年)11月10日早朝、国籍不明の潜水艦が先島群島周辺海域の日本の領海内を南から北方向へ向け潜没航行しているのを海自哨戒機(P-3C)が確認したことから、所要の措置を講ずるために、同日、上記閣議決定を踏まえ、1999年(平成11年)の能登半島沖不審船事案以来2度目となる海上警備行動が発令された。
弾道ミサイル等の破壊措置
弾道ミサイル防衛(BMD)に関する行動類型としては、自衛隊法第82条の3に「弾道ミサイル等の破壊措置」が定められている。この条項は2003年(平成15年)に弾道ミサイル防衛システム導入が決定されたことを受け、2005年(平成17年)の法改正で整備された。
弾道ミサイル等の落下により人命または財産に対して重大な被害が生じると認められる事態に対して適用される条項で、内閣総理大臣の承認を得て防衛大臣が部隊に必要な措置をとることを命ずる。内閣総理大臣の承認を受ける暇がない緊急の場合にはあらかじめ作成された緊急対処要領に従って部隊に出動を命ずる。同条による措置がとられた場合、内閣総理大臣はその結果を国会に報告する必要がある。
各自衛隊は弾道ミサイル防衛に関する装備の整備を進めており、弾道ミサイルの探知手段としてイージス艦の改修と新型地上配備型レーダーの配備と既存レーダーの改修が行われる。また迎撃ミサイルとしてスタンダードミサイル SM-3とパトリオットミサイル PAC-3の配備を決定している。
2009年(平成21年)3月27日、政府は安全保障会議を開き北朝鮮が「人工衛星」打ち上げ名目で発射した長距離弾道ミサイルが日本の領土・領海に落下する事態に備え、ミサイル防衛(MD)システムで迎撃する方針を決めた。これを受け、浜田靖一防衛相が自衛隊法82条2の第3項に基づき「破壊措置命令」を自衛隊に発令した。[要出典]
治安出動
自衛隊の治安出動は自衛隊法第78条および第81条によって定められており、第78条では命令による治安維持を定めている。内乱や騒擾状態など何らかの理由により一般の警察力のみでの治安維持が不可能となった場合に内閣総理大臣の命令により出動する。国会の承認は命令出動後20日以内に付議される。
第81条では都道府県知事からの要請を受けた場合の治安維持を定めており、国会の承認は必要なく内閣総理大臣の命令によって出動を行う。基本的に治安維持活動の場合警察官職務執行法を準用する。この治安出動は、1960年代の安保闘争の際に発動が検討されたが、実際には出動しなかった。これまでに治安出動が命じられたことはない。[要出典]
国民保護等派遣
2004年(平成16年)に制定された国民保護法並びに自衛隊法の一部を改正する法律により、改正されたいわゆる改正自衛隊法第75条には、自衛隊の新たな行動類型として国民保護等派遣が加わることとなった。
武力攻撃やテロなどが発生した際、都道府県知事の要請に基づき、防衛大臣の命で国民の保護のための措置をとることができるとされた。国民保護派遣ではなく、国民保護「等」派遣として規定されているのは、国民保護法が想定する事態として武力攻撃のみならず、テロに際しても武力攻撃事態に準じた措置がとれるように柔軟な表現を採ったため。
この国民保護等派遣において自衛隊が果たす役割としては、武力攻撃事態等又は緊急対処事態において、避難住民の誘導、集合場所での人員整理、避難状況の把握などの他、避難住民への食料品及び飲料水の供給、物資の供給、医療活動、捜索及び救出などの活動が主に期待されている。その他にも、武力攻撃災害などへの対処、被災状況の把握や人命救助活動、消防及び水防活動、NBC汚染対処などが想定され、また、武力攻撃災害などの応急の復旧において危険な瓦礫の除去、施設などの応急復旧、汚染の除去なども想定されている。
改正自衛隊法では、第75条において即応予備自衛官、予備自衛官の国民保護等派遣が可能となる。
国民保護等派遣における自衛隊の権限は、警察官職務執行法の避難等の措置、犯罪の予防及び制止、立入、武器の使用の権限を行使する警察官相当の権限を行使できる他、市町村長などがその場にいない場合に限り、自衛官は退避の指示、応急公用負担、警戒区域の設定、住民などに対する協力要請などの権限を行使することができるとされている。
なお、国民保護等派遣が命ぜられた場合のほか、防衛出動又は治安出動が命ぜられた場合、必要があれば自衛隊は国民の保護のための措置をとることができる。
海外派遣
部隊派遣
1980年代までは、専守防衛論議とのからみで、部隊の海外派遣は行われなかった。冷戦終結に伴う、国際政治環境の変化を受けて、湾岸戦争後の1991年(平成3年)のペルシャ湾への掃海艇派遣(自衛隊ペルシャ湾派遣)を皮切りに、それ以降PKO協力法に基づくカンボジアや東ティモールなどへのPKO業務、国際緊急援助隊業務を行っている。
その他に、自衛隊はアメリカ同時多発テロ事件を受けテロ対策特別措置法によりインド洋周辺にて補給艦による他国の艦船への燃料や物資の補給や輸送機による物資の輸送を行なっている。インド洋に派遣する船舶は補給艦2隻および護衛艦3隻以内と定められている。また輸送機においては輸送を行う航空自衛隊の部隊の自衛官の数に相応する数量の拳銃等の所持が認められている。また、イラク戦争後のイラク復興援助のために、イラク復興支援特別措置法に基づき、陸上自衛隊や航空自衛隊の部隊によるイラク派遣を行っていた。
能力構築支援
2012年度(平成24年度)から東ティモールやカンボジアで、非伝統的安全保障分野における派遣を開始した。今後、東南アジアを中心に自衛官等を派遣する。自衛隊は、2010年(平成22年)の防衛計画の大綱で、海賊への対処や、地雷・不発弾処理、災害対応などの能力構築支援(キャパシティ・ビルディング)の推進を表明しており、インドネシア、ベトナム、モンゴルでも実施している。
不発弾処理
不発弾処理に関しては自衛隊法附則第4項に記載されている。令和4年度は全国で1,372件/41.9tの処理を行っている。中でも沖縄は沖縄戦の影響から処理件数が多く令和4年度で467件(34%)/13.1t(31%)、沖縄返還以降の昭和47年度から令和6年9月の期間で40,018件/1,884tの処理を行なっている。
広報活動
陸上自衛隊広報センター、海上自衛隊佐世保史料館、海上自衛隊呉史料館、鹿屋航空基地史料館、浜松広報館など、各地に広報用、観光用の施設を設けており、各自衛隊の装備品や、日本軍の兵器が展示され、また歴史や活動の広報が行われている。
他、自衛隊地方協力本部や各基地、駐屯地などは、地方局のラジオなどでレギュラー番組を持っており、毎週、自衛隊の情報を発信している。これらの番組は自衛官が出演しており、好評を得て全国放送される番組もある。
その他の活動
- 外交活動
- いくつかの国の在外公館には、軍事に関する情報収集を担当する防衛駐在官を派遣している。一佐もしくは将補が派遣され、軍人と外交官の身分を併せ持ち、軍事分野における各国の交流の促進と、軍事情報の合法的な収集を実施する。彼らが得た情報は、外務省と防衛省が共有し、活用する。
- 特殊な事件への協力
- 警察や消防、民間の医療機関では対処が難しい事件の協力。地下鉄サリン事件や福島第一原子力発電所事故での物質特定、除染作業、患者の治療などが挙げられる。また、警察や消防に対して、対テロ訓練の教育・指導をしている。
- 救助活動
- 登山客が山で遭難したり、海水浴客や漁民が海で遭難した時、消防や警察、海上保安庁と共に出動して救助活動に加わることがある。
- 急患輸送
- 離島や山間部、海上の船舶などで急患が発生し、病院への輸送手段がない場合、自衛隊が患者を輸送することがある。
- 皇族、政治家など要人の輸送
- 政府専用機の運用。詳細は日本国政府専用機及び特別航空輸送隊を参照。
- イベントの支援
- さっぽろ雪まつりでの雪像製作やオリンピック、国民体育大会などの協力。オリンピック支援集団など参照。大規模なイベント以外でも、各地の祭りなどに積極的に協力しており、音楽隊や、隊員のパレードなどでイベントを盛り上げる。
- 学術分野への協力
- 砕氷艦(南極観測船)「しらせ」の運用や、南極地域への隊員の派遣など、南極観測への協力。
- 土木工事の受託
- 陸上自衛隊の施設科などを中心に、土木工事等の受託を行う。
- スポーツへの協力
- 開幕式での国歌君が代演奏 や、戦闘機を使っての展示飛行 などのイベントを実施する。また、自衛隊独自にチームを結成し、社会人リーグや各地の試合に出場するなどの活動を行なっている。
- 自衛隊体育学校では、「特別体育課程」があり、隊員の中でも特に資質に優れた者を選んでオリンピック選手要員として養成している。円谷幸吉などを始め、自衛官のメダリストも多数輩出している。
- また、日本では銃規制が厳しく、特に拳銃は民間人が所持するのはほぼ不可能なので、拳銃による射撃が含まれる競技の選手は、ほとんどが自衛官か警察官である。また、陸上自衛隊朝霞駐屯地のように、射撃競技の試合会場として駐屯地内の射撃場を貸し出す場合もある。
- メディアへの協力
- 映画やゲーム、アニメなどで協賛することがある。特に、作中で戦車や軍艦、戦闘機などが登場する場合、これら兵器の動いているシーンを撮影したり、動作音を録音するためには自衛隊の協力が不可欠な場合が多い。単に撮影に協力する以外にも、作中の軍事的知識のアドバイスを行う場合もある。
階級および旗章
陸上自衛隊・海上自衛隊・航空自衛隊の自衛官の階級は、自衛隊法に基づき、それぞれ陸将・海将・空将を最高位とし、それぞれ16階級が定められている。階級呼称も陸海空それぞれが完全に対応しており、将の階級を除いて略称が同じになる(将補・1佐・2佐など)。3尉以上を幹部自衛官とし、そのうち将・将補が高級幹部、1佐・2佐が上級幹部、3佐・1尉が中級幹部、2尉・3尉が初級幹部。その下に准尉があり、さらに下士官・兵に相当する曹・士の階級が設けられている。各自衛隊ではこれら階級に応じて階級章が定められている。
区分 | 陸上自衛隊 | 海上自衛隊 | 航空自衛隊 | ||
---|---|---|---|---|---|
幹部 | 将官 | 将 | 統合幕僚長たる陸将 陸上幕僚長たる陸将 陸将 | 統合幕僚長たる海将 海上幕僚長たる海将 海将 | 統合幕僚長たる空将 航空幕僚長たる空将 空将 |
将補 | 陸将補 | 海将補 | 空将補 | ||
佐官 | 一佐 | 一等陸佐 | 一等海佐 | 一等空佐 | |
二佐 | 二等陸佐 | 二等海佐 | 二等空佐 | ||
三佐 | 三等陸佐 | 三等海佐 | 三等空佐 | ||
尉官 | 一尉 | 一等陸尉 | 一等海尉 | 一等空尉 | |
二尉 | 二等陸尉 | 二等海尉 | 二等空尉 | ||
三尉 | 三等陸尉 | 三等海尉 | 三等空尉 | ||
准尉 | 准陸尉 | 准海尉 | 准空尉 | ||
曹士 | 曹 | 曹長 | 陸曹長 | 海曹長 | 空曹長 |
一曹 | 一等陸曹 | 一等海曹 | 一等空曹 | ||
二曹 | 二等陸曹 | 二等海曹 | 三等海曹 | ||
三曹 | 三等陸曹 | 三等海曹 | 三等空曹 | ||
士 | 士長 | 陸士長 | 海士長 | 空士長 | |
一士 | 一等陸士 | 一等海士 | 一等空士 | ||
二士 | 二等陸士 | 二等海士 | 二等空士 | ||
自衛官候補生 | 自衛官候補生 | 自衛官候補生 | 自衛官候補生 |
将官
将官は将と将補の二つが設けられている。将(陸将・海将・空将)の中でも統合幕僚長たる将及び陸上幕僚長、海上幕僚長又は航空幕僚長たる将は、法令上は他の将と同一であるが事実上別個の階級とされ、大将に相当する扱いがなされており、四つ星の階級章や階級名の大将の英訳が適用される等、他の将と異なっている。なお、統合幕僚長就任者は左胸(ポケット)にその身分を示す統合幕僚長章を着用する。また、将補は公務員指定職の適用を受ける「将補(一)」とそれ以外の「将補(二)」の二段階に分けられている。なお、自衛隊には1スターランクに相当する階級は無いが、外国軍隊の将官の人事バランスに対応した措置が採られている。
佐官・尉官
佐官・尉官は合わせて六段階に分けられている。定年も異なり、1佐は57歳、2佐・3佐は56歳、尉官は55歳である。また、俸給表からは1佐は「一佐(一)」「一佐(二)」「一佐(三)」の3段階に細分化されている。非公式な俗称ではこれを「1等1佐」「3等1佐」または「1佐の一」「1佐の三」(それぞれ俸給表の1等陸海空佐(一)、1等陸海空佐(三)にあたる)などと呼ぶことがある。
1佐(一)
陸上自衛隊においては1佐(一)職にある自衛官が乗車する車両には紅色や白色に赤枠を設けて他と区別した台座に帽章1個(星一つの車両標識)が掲げられ、将官に準じて扱われる例がある。1佐で着任した副師団長や将補職の部隊長、団から隊へ縮小改変予定の団長、副旅団長、師団幕僚長、その他1佐職(一)がこれに該当し、これらは諸外国軍の准将相当とされる。海上自衛隊には護衛隊群司令や航空群司令等、本来は将補の役職に就く1佐(一)を代将と位置づけ、司令部乗艦の自衛艦のメインマストに白地に赤色桜星1つの代将旗の掲揚や、使用公用車両を通常の陸運局ナンバーの黒塗り乗用車(通常1佐までは自衛隊ナンバーのライトバン)とし、車両標識も紺色プレートに銀色桜星1つを掲示する等、将補並の待遇をする。自衛隊内では代将が呼称として使われることは無いが、諸外国軍からはコモドー(代将)の呼称を受ける。
旗章
自衛隊では指揮する指揮官の階級ないし部隊指揮官の旗が制定されている。幕僚長旗や指揮官旗の場合、桜星が概ね相当階級を示しており、桜星4つが幕僚長たる将を、桜星3つが将を、桜星2つが将補クラスを、そして海上自衛隊では、桜星1つが代将たる一等海佐を、それぞれ表している。
共通の旗 | |||||
---|---|---|---|---|---|
内閣総理大臣旗 | 防衛大臣旗 | 防衛副大臣旗 | 防衛大臣政務官旗 | 統合幕僚長旗 | 指揮官旗 (共同の部隊) |
陸上自衛隊の旗 | |||||
自衛隊旗 (連隊旗) | 陸上幕僚長旗 | 陸上総隊司令官旗 方面総監旗 | 師団長旗 | 旅団長旗 | 団長旗 |
海上自衛隊の旗 | |||||
自衛艦旗 | 海上幕僚長旗 | 海将旗 | 海将補旗 | 代将旗 | |
航空自衛隊の旗 | |||||
航空自衛隊旗 | 航空幕僚長旗 | 指揮官旗 (空将) | 指揮官旗 (空将補) | ||
各国軍隊との関係
他国の軍隊との防衛交流を図り、防衛省高官の訪問、世界各国国防省高官の招待などを繰り返している。また、自衛官と外交官の身分を併有し、駐在武官に相当する防衛駐在官を関係の深い主要国に派遣している。海上自衛隊の初任幹部を乗せた練習艦隊の派遣もこれに貢献している。
同盟国
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2024年1月) |
アメリカ合衆国
1997年(平成9年)日米両政府により締結された「SACO合意」(Special Action Committee on Okinawa、沖縄に関する特別行動委員会)により、日本の国防については日本が主に対処し、米軍は補助であるという原則が、文書の上で確認された。 連携を保つための共同演習では、戦闘のほか「日米防衛協力の指針(ガイドライン)」に基づく非戦闘員の救出・輸送訓練など、多様な形態の演習を定期的に実施している。在日米軍の全兵力は、約5万人である。
在日米軍は条約に従い日本の領土内に駐留する唯一の外国の軍隊であるが、日米地位協定の第二条第四項(b)に基づき、日米合同委員会での合意のもと在日米軍が自衛隊基地を利用することが広く行われている。またエリア567のように、自衛隊の訓練空域を米軍が使う例もある。
協力国
オーストラリア
日本とオーストラリアは、双方ともアメリカ合衆国と極めて緊密な軍事関係を構築しており、その関係から防衛首脳の会談も他国と比べて頻繁に行われている。自衛隊がイラクに派遣されたときには、サマーワでオーストラリア軍と共に復興活動に従事した。
オーストラリア軍の全兵力は、約9万人である。
2003年(平成15年)9月、日本国防衛庁とオーストラリア国防省との間の防衛交流の発展に関する覚書に署名。
2007年(平成19年)2月15日には、外務・防衛当局の審議官級協議が行われ、自衛隊とオーストラリア国防軍の共同演習などを今後行うという方針を確認した。同年3月には、ジョン・ハワードオーストラリア首相が来日し、安倍晋三首相と「安全保障協力に関する日豪共同宣言(日豪安保共同宣言)」に署名、PKOの共同訓練、核・ミサイルなど大量破壊兵器遮断とテロ対策、国境を越えた犯罪予防協力など9項目での協力が成立した。
両国の外交・防衛閣僚による定期協議(2プラス2)の実施も盛り込まれ、これにより日本にとってオーストラリアは米国に次いで2番目の安保分野の協力国となった。
2008年(平成20年)12月、日本国防衛庁とオーストラリア国防省との間の防衛交流の発展に関する覚書を改定。
2010年(平成22年)5月19日には、両国は「物品役務相互提供協定(ACSA)」に署名した。日本がACSAを結ぶのは、アメリカに続き2か国目である。
2012年(平成24年)2月11日 - 24日、航空自衛隊は、アメリカ空軍、オーストラリア空軍と初の3者共同訓練をアメリカ領アンダーセン空軍基地で実施した。規模は空自約330人、アメリカ空軍は約400人、オーストラリア空軍は約300人である。
2012年(平成24年)6月4日 - 5日に日豪共同訓練、6月6日 - 6月8日に日米豪共同訓練を実施した。九州南東方海域で海上自衛隊からは護衛艦・潜水艦1隻、航空機1機。アメリカ海軍はミサイル駆逐艦・原子力潜水艦1隻、航空機1機、オーストラリア海軍は駆逐艦「バララット」、オーストラリア空軍の航空機1機が参加した。
2012年(平成24年)5月、玄葉光一郎外相とオーストラリアのカー外相が外務省飯倉公館で会談、情報保護協定を締結した。
2012年(平成24年)8月31日、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣している陸上自衛隊の現地支援調整所に日豪防衛協力の一環で、オーストラリア軍の要員2人を受け入れた。オーストラリア軍との情報共有を進め、現地支援調整所が担う国連やNGOとの連絡調整の効率化を図る。
2015年(平成27年)7月、米豪合同軍事演習「タリスマン・セーバー」に自衛隊が初めて参加し、日米豪で上陸訓練を行った。
2022年(令和4年)1月、共同訓練を行う際などの対応をあらかじめ取り決めておく「日・豪」に署名、自衛隊とオーストラリア軍が円滑に活動できることになる。
イギリス
海上自衛隊の前身組織である大日本帝国海軍は設立時にイギリス海軍の教官が指導にあたっており、現代でも海軍カレーなどの文化が海上自衛隊に受け継がれている。
2011年(平成23年)10月31日、一川保夫防衛相はフィリップ・ハモンド英国防相と会談し、2004年(平成16年)1月に署名した旧覚書を発展させた、両国の防衛協力についての新たな覚書の策定作業を開始することで合意した。
F-35に敗れはしたが、イギリスは航空自衛隊の第4次F-X計画に、ユーロファイターを日本に積極的に売り込んできた。このF-Xでの積極的な売り込みの結果、日本とイギリスの間に国防関係の交流が発生した。2011年(平成23年)12月の武器輸出三原則緩和を受けて、2012年(平成24年)4月10日、野田佳彦首相はイギリスのデーヴィッド・キャメロン首相と首脳会談を行い、防衛装備品の共同開発・生産を早期に開始することで合意した。2013年3月、テロへの対処能力を向上させるため「化学防護服」を共同開発する方針で調整していることが判明している。
2012年(平成24年)6月、「日英防衛協力覚書」を取り交わす。
2012年(平成24年)7月7日、イギリスのフェアフォード王立空軍基地(RAF Fairford)で開催されるロイヤル・インターナショナル・エア・タトゥー(RIAT)に、初めて航空自衛隊のKC-767Jが参加した。
2015年(平成27年)7月14日、イギリスのフェアフォード王立空軍基地でのロイヤル・インターナショナル・エア・タトゥーに海上自衛隊のP-1が2機参加した。
2017年(平成29年)1月26日、ロンドンにおいて両国は「物品役務相互提供協定(ACSA)」に署名し、8月18日に外交上の公文を交換し発効した。日本がACSAを結ぶのは、アメリカ、オーストラリアに続き3か国目である。
2018年9月30日から10月12日まで、陸自の約60人と英陸軍の約50人が参加して富士学校や北富士演習場など3カ所で行われる、陸自が国内で米軍以外と2国間訓練を行うのは初めてだという。
2021年9月8日、イギリス海軍空母クイーンエリザベスが、横須賀に初寄港。
2023年1月11日、ロンドンにおいて円滑化協定に署名。オーストラリアに続き2か国目。
インド
インド海軍艦艇の初訪日は1969年(昭和44年)。また、2007年(平成19年)4月16日には、日米印3ヶ国間訓練が初めて実施された。房総南方海域で行われ、海上自衛隊からは第1護衛隊群司令の指揮する護衛艦4隻、米海軍からは第5空母打撃群司令の指揮する駆逐艦2隻、インド海軍からは東部方面艦隊司令官であるR・K・ドワン海軍少将の指揮する駆逐艦「マイソール」とミサイルコルベット艦「クタール」、補給艦「ジョティ」が参加し、通信訓練、近接運動、戦術運動等が行われた。
2006年(平成18年)3月、国連平和維持活動の国際連合兵力引き離し監視軍の派遣(自衛隊ゴラン高原派遣)で、ゴラン高原で同一宿営地に住居し、給食業務等を共同で行なっている。
2008年(平成20年)10月には、両国首脳が日印安全保障協力共同宣言に署名し、日本にとって、インドはアメリカ、オーストラリアに次いで、安全保障分野で正式な協力関係を結んだ3番目の国となった。
また、インドは国防の充実を図るため、これまで武器の輸出を事実上禁止してきた武器輸出三原則の緩和を睨み、防衛関連技術に関する協力強化を求める方針を示唆している。
2012年(平成24年)には、海上自衛隊とインド海軍による2国間演習を実施することを決めた。中国への対抗を目的としている。
日本とインドの交流は、2006年(平成18年)3月に森陸幕長がインドに訪問、2007年(平成19年)4月にシン陸軍参謀長、2009年(平成21年)8月にカプール陸軍参謀長が来日、2011年(平成23年)2月には火箱陸幕長がインドを訪問した。2011年(平成23年)8月にはインド陸軍の准将以下4人が富士総合火力演習を研修し、2012年(平成24年)1月には富士学校の陸自幹部がインドのトプチ火力演習を研修している。日本はインドに防衛駐在官を置き、インド防軍幕僚大学に留学生を送っているほか、インド陸軍も陸上自衛隊幹部学校の指揮幕僚課程(CGS)多国間セミナーなどに参加している。また、ゴラン高原の国連兵力引き離し監視隊(UNDOF)に派遣されている陸上自衛隊ゴラン高原輸送隊は、現地でインド陸軍とともに後方任務に当たっている。
2013年(平成25年)には、インドの防衛駐在官を陸海空の3人に強化する方針を決めた。3人体制は米中韓ロに続く5カ国目であり、近隣諸国や同盟国以外では初めてとなる。
2020年(平成2年)9月9日、ニューデリーにおいて両国は「物品役務相互提供協定(ACSA)」に署名し、2021年6月11日に外交上の公文を交換し7月11日発効した。日本がACSAを結ぶのは、アメリカ、オーストラリア、イギリス、フランス、カナダに続き6か国目である。
ドイツ
日本とドイツは、2024年(令和6年)1月29日、日・独物品役務相互提供協定(日独ACSA)への署名を実施し、7月12日発効した。
フィリピン
日本とフィリピンは、2006年(平成18年)6月に日比防衛首脳会談を行うなど、定期的に防衛首脳、次官級の交流を行なっている。2012年3月から4月にかけて行われるアメリカとフィリピンの合同演習に自衛隊が参加することが決定した。また、フィリピン軍の基地や訓練施設を、自衛隊が共同使用することも検討されている。
2013年(平成25年)には、フィリピンを襲った台風ヨランダの甚大な被害を救援するため、フィリピン政府に要請に基づき、過去最大の1180人からなる海外派遣が行われた。
2016年(平成28年)5月、日本から最大5機のTC-90をフィリピン海軍へ有償貸与する事が両国間で合意した。自衛隊装備の他国供与第一号となる。南シナ海での監視能力強化を図りたいフィリピンはP-3C対潜哨戒機を希望していたが、高度な運用能力を要するP-3Cに代わり、より扱い易いTC-90の移転が前年から検討されていた。 専用の哨戒装備を持たないTC-90であっても、フィリピン海軍現有のBN-2に比べて大幅な能力向上が見込める。 防衛省においては、人道支援・災害救援での能力向上を挙げている。
2024年7月8日、マニラにおいて円滑化協定(RAA)に署名した。
ベトナム
2011年(平成23年)10月24日、ベトナムのフン・クアン・タイン国防相が来日し、防衛省で「日越防衛協力・交流に関する覚書」を交わし、海上安保における協力関係を確認した。防衛大学校ではベトナム軍少尉候補生の交換留学の受け入れを継続的に行っている。
フランス
2010年(平成22年)5月には、外薗健一朗航空幕僚長がフランスを訪問し、同年9月にはピエール・フランソワ・フォリシェフランス海軍参謀長が来日するなど、日本とフランスは友好的な交流を続けている。
2011年(平成23年)10月に、「日仏情報保護協定」を締結した。
2012年(平成24年)2月22日には、ヴァンデミエールが佐世保港へ入港。2月27日、海上自衛隊およびアメリカ海軍と共同訓練をおこなった。また、武器輸出三原則緩和を受けて、武器や防衛装備品の共同開発・生産を進める方向で調整されている。
2017年(平成29年)6月19日、 パリ航空ショーにP-1哨戒機1機が地上展示された。
2018年(平成30年)7月13日 パリにおいて両国は「物品役務相互提供協定(ACSA)」に署名し、2019年5月27日に外交上の公文の交換を完了、6月26日発効した。日本がACSAを結ぶのは、アメリカ、オーストラリア、イギリスに続き4か国目である。
カナダ
2010年(平成22年)11月、カナダと「日加政治・平和安保共同宣言」を発表。
2018年(平成30年)4月21日 トロントにおいて両国は「物品役務相互提供協定(ACSA)」に署名し、2019年6月18日に外交上の公文を交換、7月18日発効した。日本がACSAを結ぶのは、アメリカ、オーストラリア、イギリス、フランスに続き5か国目である。
イタリア
2012年(平成24年)6月、イタリアと「日伊防衛交流・協力の意図表明文書」に署名した。
シンガポール
2009年(平成21年)12月、シンガポールは日本にとって東南アジアで最初の防衛協力・交流の覚書を締結した国である。拡大ASEAN国防相会議で防衛医学分野の専門家会合の共催。
モンゴル
2012年(平成24年)1月、「日モンゴル防衛協力・交流の覚書」を署名した。また、モンゴルが主催したPKO多国間訓練「カーン・クエスト」に自衛隊が参加している。
バーレーン
2012年(平成24年)4月、バーレーンと「日バーレーン防衛交流に関する覚書」を署名した。
ケニア
2024年(令和6年)2月、ケニアと「日ケニア防衛協力・交流に関する意図表明文書」を署名した。
その他
北大西洋条約機構
2010年(平成22年)6月に北大西洋条約機構(NATO)と「日・NATO情報保護協定」を締結している。
ジブチ共和国
アフリカ・ジブチには自衛隊初の海外活動拠点がある。ジブチ国際空港の北側の土地約12ヘクタールを借り上げて、司令部庁舎・隊舎・P3C哨戒機の整備用格納庫・体育館などがある。
周辺諸国
中国
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2024年1月) |
日本政府は尖閣諸島は日本固有の領土であり、領有権問題は存在しないとしているが、1971年(昭和46年)に地下資源埋蔵の可能性が確認されて以降、中国政府は尖閣諸島の領有権を主張し、日本が沖ノ鳥島に排他的経済水域を設定していることに異議を唱えている。吉林省と新疆ウイグル自治区はミサイル基地が存在し、通常弾頭、核弾頭双方の中距離弾道ミサイル約25基の照準を日本の主要都市や在沖縄米軍基地へ向けている可能性が指摘されており、アメリカ海軍の空母機動部隊の軍事プレゼンスを排除する目的で、対艦弾道ミサイルの能力向上と配備を推進している。また、日本領海内を潜水航行する原子力潜水艦を海上自衛隊が追跡した漢級原子力潜水艦領海侵犯事件の事例がある。中国人民解放軍の全兵力は約230万人である。
2007年(平成19年)11月、中国海軍のミサイル駆逐艦「深圳」が中国艦艇では戦後初めて日本に親善入港した。
2008年(平成20年)に発生した四川大地震では海上自衛隊の護衛艦が海南島に援助物資を緊急輸送した。
2009年(平成21年)11月、中国海軍の練習艦「鄭和」が江田島と呉に入港した。
2010年(平成22年)4月、東シナ海で中国海軍の軍事訓練を監視中の護衛艦あさゆきに中国海軍の哨戒ヘリが異常接近する威嚇行為事件が発生した。
2013年(平成25年)1月、東シナ海で中国海軍フリゲートが護衛艦ゆうだちを射撃管制レーダーでロックオンする中国海軍レーダー照射事件が発生した。
2019年(令和元年)10月、令和初の国際観艦式に招待されて初参加した中国海軍の艦艇が日本に寄港するも令和元年東日本台風(台風19号)で観艦式は中止となり、8年ぶりかつ日本近海で初の共同訓練を海上自衛隊と行った。
2021年(令和3年)10月、中国海軍とロシア海軍の軍艦10隻が、対馬海峡、津軽海峡、大隅海峡を航行した。
2022年(令和4年)8月、中国軍が、台湾周辺での軍事作戦を実施した。
ロシア
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2024年1月) |
ロシアは日本と北方領土問題を有している。歴史的には日ソ中立条約の背信行為やシベリア抑留などが禍根となっている。不定期に電子戦機や爆撃機を日本領空付近まで進出させ、電子情報の収集などを行なっており、この場合は、航空自衛隊によるスクランブルを受ける。また、情報収集艦を日本近海に配置して海上からも電子情報の収集および潜水艦を展開するための海洋観測をおこない、海上自衛隊による監視の対象となっている。ロシア連邦軍の全兵力は約100万人である。
1970年(昭和45年)陸上自衛隊第11戦車大隊は、占守島の戦いでソ連赤軍に大打撃を与えたの侵攻を撃砕した日本陸軍の士魂精神を受け継ぎ「士魂戦車大隊」と命名された。
1996年(平成8年)に海上自衛隊艦艇がウラジオストクを訪問して以来、毎年艦艇の相互訪問を行っている。1998年(平成10年)以降は捜索・救難共同訓練を行っている。「日露海上事故防止協定」も結んでいる。
1999年(平成11年)に「日露防衛交流に関する覚書」を締結した。
2002年(平成14年)10月には、海上自衛隊50周年を記念した国際観艦式に招待され(ソ連海軍)時代を含めて初めてロシア海軍の潜水艦の日本寄港があった。
2006年(平成18年)に「日露防衛交流に関する覚書」を改定した。
2012年(平成24年)に「日露防衛交流に関する覚書」を改定した。安全保障分野で日露両政府の協力関係を拡大する。
2021年(令和3年)10月、中国海軍とロシア海軍の軍艦10隻が、対馬海峡、津軽海峡、大隅海峡を航行した。
北朝鮮
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2024年1月) |
北朝鮮は韓国およびアメリカ合衆国を主体とする国連軍と休戦中であり、準戦時状態を維持していることから、事実上の軍事同盟国である日本も敵視している。また、北朝鮮の工作員による日本人の拉致が行われている。
また、北朝鮮は、国際的に非難を浴びた度重なる核実験の強行と、度重なる北朝鮮によるミサイル発射実験により、日本と高い軍事的緊張状態にある。日本は北朝鮮の船の入港禁止、および輸出入の全面禁止という経済制裁を実施しており、事実上、北朝鮮とは断交状態にある。
『防衛白書』では北朝鮮による核兵器や、化学兵器、生物兵器などの保有を「重大な脅威」と公式表明し、自衛隊は朝鮮人民軍を特に強く警戒している。朝鮮人民軍の全兵力は約190万人である。
2008年(平成20年)5月31日、人民軍上層部が「日本の反動勢力は、日本列島がわが革命的武装力の容赦ない打撃圏内にあるということをひとときも忘れてはならない」と警告し敵対姿勢を改めて鮮明にしている。
日本国内には、北朝鮮のミサイル攻撃への抑止力となる反撃能力と有事法の整備を求める世論がある。
2014年(平成26年)現在、北朝鮮は核弾頭の小型化に成功し、多数のノドンミサイルで日本を核攻撃できる能力を既に備えていることが米韓当局から確実視されており、更に日韓両国を黄海上から核攻撃できる潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の開発もかなり進展しているとされ、日朝の軍事関係は緊張が高まっている。
韓国
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2024年1月) |
日本と韓国とは竹島(韓国名:独島)の領有権問題を抱えている。一方、アメリカ合衆国を介した間接的な協力関係にもある。中曽根内閣時代に日米韓関係の強化が図られ、合同訓練、武官の交換や学生の留学、艦艇の派遣や音楽隊の派遣・招致など防衛交流がある。
大韓民国国軍の全兵力は約62万人である。
1994年(平成6年)から海上自衛隊と韓国海軍との間で艦艇の相互訪問が開始された。
1999年(平成11年)には初の捜索・救難共同訓練を行った。
2013年(平成25年)日本政府及び自衛隊は国際連合、韓国軍からの要請により韓国軍南スーダンPKO部隊に弾薬1万発を供与した。
2018年(平成30年)韓国国際観艦式に海上自衛隊の護衛艦の参加を要請されたが、参加条件として自衛艦旗の掲揚を自粛するよう韓国政府から求められたため、日本政府は韓国国際観艦式に参加することを中止した。また、2018年12月20日には 能登半島沖で韓国海軍「クァンゲト・デワン」級駆逐艦から厚木基地の海上自衛隊第4航空群所属P-1が火器管制レーダーを照射された韓国海軍レーダー照射問題が発生した。
台湾
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2024年1月) |
国交のない台湾(中華民国)とは、具体的な軍事的交流もない。台湾も尖閣諸島の領有を主張していて、日本との領有権に関する問題があり、民間船舶の他、海巡署の巡視船がしばしば領海侵犯を起こしている。台湾の航空機が、航空自衛隊によるスクランブルの対象になる事案は、ロシア、中国についで三番目に多い。
2008年(平成20年)3月13日、防衛省の高見沢将林防衛政策局長は、「台湾有事は日本の問題」であり、周辺事態法の適用可能性もあると語り、自衛隊にとって台湾の政治事情は重要である認識を示した。
また、アメリカの沖縄占領時にアメリカ空軍が設定していた防空識別圏を、日本はそのまま引き継いだため、与那国島の西側2/3は台湾の防空識別圏として扱われるようになった。日本と台湾に重要な懸案が無かったため、このことは長年、重大な問題にはならなかったものの、与那国島の島民を含む沖縄県では、自分たちの空の一部を外国の軍が管理するという現状に不安を持っていた。台湾軍の全兵力は、約30万人である。
2010年(平成22年)5月26日、防衛省は長年放置されていたこの問題を解消するため、防空識別圏の見直しを検討する方針を示し、台湾側にも通知した。台湾外交部は遺憾の意を表明し、認めないことを明言している。
防衛省は2010年(平成22年)6月24日、防空識別圏見直しについての防衛省訓令を翌6月25日から実施することを発表した。
駐留国
ジブチ 自衛隊はアフリカのジブチ共和国における自衛隊拠点(基地)を運用している。国際法では日本の軍事基地(在日米軍のようなもの)に相当しており、約400人ほどがいる。ソマリア沖の海賊被害に対応するため、2011年7月に開所された。
装備
自衛隊は専守防衛の観点から、大規模な戦力投射能力を有していない。過去には航空自衛隊がF-4を輸入、ライセンス生産する際に、同機の対地攻撃能力や空中給油装置を問題視した日本社会党からの指摘を受けて取り外す措置を行ったり、C-1を開発する際、周辺国の脅威になるという点からあえて航続距離を短くしたりした例もある。
特徴
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2024年1月) |
ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム、モバイル、電話、Android、iOS、Apple、携帯電話、Samsung、iPhone、Xiomi、Xiaomi、Redmi、Honor、Oppo、Nokia、Sonya、MI、PC、ウェブ、コンピューター