ドイツ海軍(ドイツかいぐん)とは、ドイツの海上兵力を指す。ここでは帝政ドイツ以降の海上兵力について述べる。
ドイツ海軍の保有した艦艇は戦艦、巡洋戦艦、ポケット戦艦、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦であるUボート、小型艦としてRボートやSボートなどが挙げられる。
名称
ドイツの海軍のドイツ語名称の変遷は以下の通りである(1815年-1990年)。
- Reichsflotte (ドイツ連邦艦隊) ドイツ連邦 (1815年-1861年)
- Marine des Norddeutschen Bundes (北ドイツ連邦海軍) 北ドイツ連邦 (1861年-1871年)
- Kaiserliche Marine (ドイツ帝国海軍)ドイツ帝国 (1871年-1918年)
- Vorläufige Reichsmarine (ヴェルサイユ条約締結までの暫定的なドイツ国海軍) ヴァイマル共和国(1919年-1921年)
- Reichsmarine (ヴェルサイユ条約締結後のドイツ国海軍)ヴァイマル共和国 (1921年-1935年)
- Kriegsmarine (ドイツ海軍 (国防軍):ヴェルサイユ条約を破棄した1935年に改名)ナチス・ドイツ (1935年-1945年)
- Deutsche Marine (再統一後のドイツ連邦共和国の「ドイツ海軍」) ドイツ連邦共和国(再統一されたドイツ(1990年-現在)
歴史
第一次世界大戦前
ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は大英帝国に対抗して海軍長官アルフレート・フォン・ティルピッツの下に大規模な艦隊を建設していた(陸軍がプロイセン王国、ザクセン王国、バイエルン王国等諸邦の陸軍の寄合所帯だったのに対し、海軍が皇帝の直轄だったことも一因)。「大洋艦隊(Hochseeflotte, 大海艦隊とも訳される)」と呼ばれた艦隊の規模は日本やアメリカを優にしのぎ、世界第2位の海軍として大英帝国と弩級戦艦や巡洋戦艦(ドイツ名では大巡洋艦)を中心に、激しい建艦競争を繰り広げていた。
- 北海を航行する戦艦艦隊
第一次世界大戦
大戦においても、名高い軽巡洋艦エムデンや仮装巡洋艦、Uボートによる通商破壊戦、また、コロネル沖海戦、フォークランド沖海戦、ドッガー・バンク海戦、ユトランド沖海戦でイギリス海軍相手に激戦を繰り広げた。しかし、開戦後、ドイツは新型艦の建造は大幅にペースダウンしており、戦争後半になると続々と増強されるイギリス海軍に比べ、明らかに劣勢となっていった。そのため、Uボートによる無制限潜水艦作戦が主流となっていった。また、ドイツ海軍は飛行船も保有し、陸軍の飛行船ともどもイギリス本土への空襲もおこなっている。その後、キール軍港での水兵の反乱がドイツ革命、大戦終結の引き金になった。
スカパ・フロー一斉自沈
休戦交渉終結後にドイツ大洋艦隊の主力(74隻)は、中立国の港湾でなくイギリスのスカパフローに回航・抑留された。1919年5月7日、発表されたヴェルサイユ講和条約案は、抑留中の全艦艇を連合国に引き渡すこととし、ドイツに残されるものは僅か15,000名の兵と1500名の士官から成る海軍であった。許される艦艇数は最大排水量10,000トンの戦艦6隻、6,000トン以下の巡洋艦6隻、800トン以下の駆逐艦12隻、200トン以下の水雷艇12隻のみ。潜水艦と飛行機の保有は許されなかった。抑留艦隊司令官提督は、賠償艦として引き渡すことを潔しとせず、1919年6月21日抑留中の全艦艇に一斉自沈を命令した。しかし、その代償は大きかった。連合国は自国海軍へのドイツ艦艇の編入を計画していた矢先の出来事であり、特にお膝元ともいえるスカパ・フローにて自沈を許したイギリスの面目は丸潰れであった。
しかる後、連合国はドイツに対し「自沈した艦に匹敵する賠償」を強く要求し、60日以内に提出するよう厳命した。ドイツ海軍には自国海域を守るための最低限である弩級戦艦ナッサウ級4隻とヘルゴラント級4隻に軽巡洋艦「ピラウ」「ケーニヒスブルク」「グラウデンツ」「レーゲンスブルク」「シュトラスブルク」が召し上げられ、さらに海軍設備のうち浮きドック・港湾クレーン・タグボート・サルベージ船(救難船)・補給船など総計40万トンと全てのUボートと装備品が没収された。これらの艦艇・設備の輸送費はドイツの負担により連合国の各国の港に輸送され、連合各国に働きに応じて分配された。さらに建造中の艦艇は全て解体処分とされ、資材は商業活動目的にのみ利用された。
後に、この因縁の地に20年後の1939年10月14日、ギュンター・プリーン中尉の指揮するUボートU47が侵入して停泊中のイギリス戦艦ロイヤル・オークを撃沈した。この知らせにドイツ国民の多くは20年前を思い、溜飲を下げた。
ヴェルサイユ条約下
ヴェルサイユ体制下でのワイマール共和国におけるドイツ海軍は、陸軍同様に厳しい制限を受けた。 前述の自沈の賠償の影響が海軍の艦艇・設備に暗い影響を与えていた。
大型艦としては旧式の準弩級戦艦ブラウンシュヴァイク級「ブラウンシュヴァイク」「エルザス」「ヘッセン」「プロイセン」「ロートリンゲン」・ドイッチュラント級「ハノーファー」「シュレージェン」「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」、巡洋艦が第一次大戦前に建造された防護巡洋艦ブレーメン級「ベルリン」「ハンブルク」・「ニオベ」「ニンフェ」「テーティス」「アマツォーネ」「メドゥーサ」「アルコナ」、駆逐艦16隻(内2隻は予備)、水雷艇16隻(内2隻は予備)、魚雷艇16隻が残されたに過ぎなかった。
さらに、海軍の総人数は15,000人に制限され、そのうち海軍士官は1,500人以下とされた。予備役は保有できず、海軍将校クラスは志願制により最低25年は勤めることとされ、その他の兵役は12年勤務に制限された。一旦、海軍を退役した軍人は、軍事教育に関わる分野への再就職は絶たれ、海軍に関する天下りもできなかった。また、第一次大戦終了時から勤務する海軍士官達は病気以外は45歳になるまでは継続勤務することを海軍に誓約せねばならなかった。
海軍の仕事として第一次大戦時に敷設した機雷の掃海作業とし、母艦の新規建造は制約されたために戦艦を掃海艇母艦へと改造するしかなかった。これらの作業は欧州大陸周辺の指定海域の安全が保障されるまで続けられた。
また、既存艦艇の更新のみ軍艦の建造ができるが、排水量は一万トンを超えることはできなかった。巡洋艦は6,000トン以下、駆逐艦は800トン、水雷艇と魚雷艇は200トン以下にまで制限された。軍艦の使用年数は戦艦と巡洋艦は20年、駆逐艦と水雷艇は15年まで使用することとされた。これらの艦艇は戦前のドイツ海軍でさえ二線級どころか退役間近のレベルであり、列強各国の海軍と比較するのもおこがましいような代物で、ドイツは連合国から海軍の再興を厳しく制限されたのである。
また、東にポーランド、西にはフランスという2つの仮想敵国が存在し、加えて、東プロイセン州がポーランドへの領土割譲により飛び地となるなど、非常に厳しい戦略状況を迎えていた。この状況下で建造されたのが、28センチ砲搭載のドイッチュラント級装甲艦である。「戦艦より速く、巡洋艦より強い」(28cm6門、27ノット)と称した、この通称ポケット戦艦は、旧式艦の多いフランスと軽艦艇のみのポーランドの双方を相手にすることへの苦肉の策とはいえ、ワシントン軍縮条約で他国に課せられた制限(『主力艦』以外は、排水量1万トン以下、備砲20センチ以下)と、ヴェルサイユ条約でドイツに課せられた制限(排水量1万トン以下、備砲28センチ以下)の間隙をうまく突いた艦であった。
- 戦艦シュレジェン(左)、同シュレスヴィヒ・ホルシュタイン(右手前)、同ヘッセン(右奥)
- 戦艦ヘッセン
- 戦艦シュレジェン
- 防護巡洋艦ニンフェ
- 防護巡洋艦ニオベ
再軍備~第二次世界大戦
戦後~現代
東ドイツ
装備
歴代艦艇についてはドイツ海軍艦艇一覧を参照のこと。
主な海戦
第一次世界大戦
- ゲーベン追跡戦
- コロネル沖海戦
- フォークランド沖海戦
- ヘルゴラント・バイト海戦
- ドッガー・バンク海戦
- ユトランド沖海戦
第二次世界大戦
- ラプラタ沖海戦
- ライン演習作戦 / デンマーク海峡海戦
- 第1次ナルヴィク海戦
- 第2次ナルヴィク海戦
- ノルウェー沖海戦
- バレンツ海海戦
- 北岬沖海戦
著名な海軍軍人
第一次世界大戦
- アルフレート・フォン・ティルピッツ - 海軍大臣。
- - 大洋艦隊司令官。
- - 大洋艦隊司令官。
- ラインハルト・シェア - 大洋艦隊司令官。
- フランツ・フォン・ヒッパー - 索敵部隊司令官。大海艦隊司令官。
- マクシミリアン・フォン・シュペー
- フェリクス・フォン・ルックナー
- ペーター・シュトラッサー
- ロタール・フォン・アルノー・ド・ラ・ペリエール
- ヴァルター・フォルストマン
戦間期
- - ヴァイマル共和国海軍総司令官。
- - ヴァイマル共和国海軍総司令官。
第二次世界大戦
- エーリヒ・レーダー - ドイツ海軍総司令官。
- カール・デーニッツ - ドイツ潜水艦隊司令官。海軍総司令官。ドイツ大統領。
- ハンス=ゲオルク・フォン・フリーデブルク - ドイツ潜水艦隊司令官。海軍総司令官(両職ともデーニッツの後任)。
- ヴァルター・ヴァルツェハ - 海軍総司令官(フリーデブルク自決後の暫定司令官)。
- ギュンター・グーゼ - 海軍軍令部長。
- オットー・シュニーヴィント - 海軍軍令部長(グーゼの後任)。
- クルト・フリッケ - 海軍軍令部長(シュニーヴィントの後任)。
- ヴィルヘルム・マイゼル - 海軍軍令部長(フリッケの後任)。
- アルフレート・ザールヴェヒター
- ヴィルヘルム・マルシャル
- ロルフ・カールス
- ヘルマン・ベーム
- ギュンター・リュッチェンス
- ハンス・ラングスドルフ
- ベルンハルト・ロッゲ
- エルンスト・リンデマン
- オスカー・クメッツ
- オットー・チリアクス
- エーリヒ・バイ
- ヘルムート・ハイエ
- ヴィルヘルム・カナリス
Uボートエース
- オットー・クレッチマー
- ギュンター・プリーン
- ヨアヒム・シェプケ
- ヴォルフガング・リュート
- エーリヒ・トップ
文献
- Dan van der Vat The Grand Scuttle; The Sinking of the German Fleet at Scapa Flow in 1919, Hodder and Stoughton Limited, London, 1982, ISBN 1-874744-82-3
- (邦訳)ダン・ファンデルバット『ドイツ艦隊大自沈』佐藤佐三郎(訳)、原書房、1984年、ISBN 4-562-01438-5
- Adolf Schlicht / John R.Angolia Die deutsche Wehrmacht, Uniformierung und Ausrüstung 1933-1945, Band 2 Die Kriegsmarine, Motorbuch Verlag, 1995, ISBN 3-613-01656-7
- 相澤淳『海軍の選択:再考 真珠湾への道』、中央公論社、2002年、ISBN 4-12-003304-X
- カーユス・ベッカー『呪われた海』松谷健二(訳)。青木栄一による解題、阿部安雄による年表を含む。中央公論新社、2001年、ISBN 4-12-003135-7
関連項目
外部リンク
- ドイツ連邦海軍 公式ウェブサイト
- Imperial German Navy in World War I
- The Unofficial German Navy Homepage
- GERMAN NAVY
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