判事(はんじ、ことわるつかさ)とは、律令制で、刑部省に所属した職員で、四等官の外にある品官にあたる。裁判審理・裁定をつかさどった。大宰府にも設置されている。
概要
被疑者を尋問する解部(ときべ)の提出した鞫状(調書)をもとに、刑部卿とともに裁判の審理にあたり、適用する律令の条文を確定して判決案を定めた。大判事は定員2人で正五位下相当。中判事は定員4人で正六位下相当。少判事は定員4人で従六位下相当。
また、大宰府にも大判事1人(従六位下相当)・少判事一人(正七位上相当)があった。
多く明法家が任命され、一部、文章得業生などを任用することもあった。
大宝令以前にも刑部省(刑官)の判事があったことが、『日本書紀』からは窺うことができる。巻第二十六、斉明天皇4年11月には、
他日(あたしひ)に、有間皇子(ありまのみこ)、一(ひとり)の判事(ことわるつかさ)と、謀反(みことかたぶけむとはか)る時に
とあり、大化改新の官制に刑部尚書の官があったので、判事も設置されたものと見られる。 『書紀』巻第三十によると、持統天皇3年(689年)には、竹田王・土師根麻呂・大宅麻呂・藤原不比等・当麻桜井・穂積山守・中臣意美麻呂・巨勢多益須・大神安麻呂が判事に任命されている。
「判事」は平安中期以降は、中原氏・坂上氏の両家が世襲しており、寛平8年(896年)には令制判事定員の削減が行われている。
脚注
参考文献
- 『角川第二版日本史辞典』p787、高柳光寿・竹内理三:編、角川書店、1966年
- 『岩波日本史辞典』p953、監修:永原慶二、岩波書店、1999年
- 『日本書紀』(四)・(五)、岩波文庫、1995年
- 『日本書紀』全現代語訳(下)、講談社学術文庫、宇治谷孟:訳、1988年
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