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使用期間
寛政10年1月1日(1798年2月16日)に宝暦暦から改暦され、天保14年12月29日(1844年2月17日)までの46年間使用された。
概要
宝暦暦が出来の悪い暦法であったことから、幕府は西洋天文学を取り入れた暦法に改暦をしようとし、麻田剛立の門下であった高橋至時を幕府天文方に登用し、同門の間重富とともに改暦の準備に当たらせた。高橋至時らは先任の天文方(山路徳風ら)と協力し、寛政9年(1797年)に暦法を完成させた。この暦法では、西洋天文学の書物の漢文訳である『暦象考成後編』を元に、月と太陽にだけであるが楕円軌道法を導入したが、惑星については周転円に基づく理論であった。また、精度の悪い古代の観測結果を説明するために、を採用した。
弘化元年(1844年)渋川景佑らにより『寛政暦書』(35巻)が出版。図にティコ・ブラーエのものをいれるなどしている。
天保8年(1837年)の大小暦(大月〈30日〉、小月〈29日〉)は、2月、4月、6月、9月、11月が小月であり、その覚え言葉が「西向く士」であった。文政8年(1825年)の大小月覚え言葉は1月、3月、5月、7月、10月、12月が大月で「大好きは雑煮草餅柏餅ぼんのぼた餅亥の子寒餅」という。
脚注
- ^ 天保14年は、12月29日までである。12月29日の翌日は、年が明けて天保15年1月1日で天保暦に改暦される。
- ^ 天保14年12月29日(寛政暦)は、グレゴリオ暦では年が明けて「1844年」となる。
- ^ 天保暦への改暦の年月日を、「弘化元年1月1日」としている場合もあるが、天保15年は、12月1日(1845年1月8日)までで、弘化元年は、12月2日(1845年1月9日)に改元される。しかし、改元が布告された時点でその年の元日にさかのぼって新元号の元年と見なす場合((改元#種類)を参照)があり、天保暦への改暦を「天保15年」とする文献と、さかのぼって「弘化元年」とする文献があるので注意が必要である。
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